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信仰偉人逸話集


〈3〉聖書の人ジョン・バニヤンと天路歴程

☆以下の文章は偉人の逸話と言うよりは、人物像と本にまつわる話です。

この本の紹介

 ★今から340年程前に英国のピュリタン教会牧師のジョン・バニヤンによって書かれた信仰寓話物語で、世界の200ヶ国語以上の言語に翻訳され、聖書に次ぐベストセラー本と言われ、世界中のキリスト者に愛読されている信仰書です。
 ★正編と続編の2部から成り、正編は主人公の「クリスチャン」が罪の呵責の重荷を負って、滅びの町から天の都へ旅立ち途中様々な試練と困難と誘惑と戦い、キリストの十字架を仰いで罪の重荷から解き放たれ、遂に天の都(天国)に到着するまでの夢物語の形で描かれた信仰寓話です。続編は夫クリスチャンの旅立ちに同行することを拒否した妻クリスチアーナが改心して4人の子供たちを連れて夫の後を追い天路歴程の旅に出る話です。

著者ジョン・バニヤンについて

 ★著者バニヤンは1628年にイギリス・ベッドフォードの鋳掛(いかけ)屋のせがれとして生まれ、小学校を読み書きを学んだ程度で中退し、父親の稼業を手伝い、若くしてクリスチャン女性と結婚しました。この妻が持参した2冊の信仰書によって良心の呵責を覚えるようになり、救いを求め始めました。非国教会のピューリタンの教会の牧師の指導の下でバプテスマを受け、数年後教会で説教を始めました。そうしたところ、英国国教会の許可なしで説教をしたとして捕らえられ、合計12年の牢獄生活をしいられました。「天路歴程」はその獄中で執筆されました。

 ★説教者としてのバニヤンの賜物と働きは目覚ましいものがあり、高名な神学者で牧師のジョン・オウエンが鋳掛屋バニヤンの教会で彼の説教を聞き続けていた時、ある人が「高名な神学者のあなたがなぜ鋳掛屋の説教を聞き続けるのか」と尋ねると、オウエンは「私は彼の説教の賜物が与えられるなら、自分の全ての学歴と能力を失っても構わない」と答えたと言われています。

 ★バニヤンと同国人の高名な説教者スポルジョンは「私は天路歴程を100回程読んでいる」と証言しているそうですが、筆者は天路歴程の読みは数回にとどめ、聖書を100回以上読むことを全ての人々に目指してもらいたいと思っています。

この書についての筆者の印象

 ★大学生の頃、この本を読み、感動した覚えがあります。最近この本をネット上で紹介し、一読をお勧めしたいと思って、再度読み始めましたが、読んでみると筆者にとっては余り読みやすい本とは言えませんでしたが、じっくり味わいながら読み進めるといろいろと教えられるところのある本です。

 ★キリスト者の人生はこの世から天の御国への天路歴程の人生でありますが、そればかりでなく、主イエスの山上の説教に示されたキリストの似姿への聖化の達成、すなわちキリストにある成人・大人・全き人への霊的成熟を目指す旅路でもあることを見逃してはなりません。
 ★バニヤンの天路歴程は前者のみが強く表現され、後者の意味合いが薄れ霞んでいて、ほとんど見えなくなっている感が拭えません。続編の巻末で訳者の池谷敏雄氏が「天路歴程におけるピューリタニズム」の中で「登場人物のパターンの固定化」についてこう論じています。すなわち、この物語においては登場人物の性格が固定化されていて、善人はあくまで善人で、悪人は最後まで悪人であり続けます。この書においては悪人の名前が付けられた人物が改心して善人に変わることがありません。現実の世界では悪人が悔い改めて善人になり、善人が堕落して悪人になることがありますが、この天路歴程の世界においてはそれが見られません。気弱者と名付けられた人物は、強い者に変えられて天に移されるのでなく、気弱者のまま天の都に迎えられています。
 ★主イエスの山上の説教の示す天の御国は、第一義的に地上の天国つまりキリスト教会のことです。地上のキリスト教会は心の貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え乾く者、哀れみ深い者、心の清い者、平和を造り出す者、義のために迫害されている者の国であって、そのような人間に聖化されることを求めて、日々地上の旅人として聖書と祈りと教会の聖徒の交わりの中で聖められ、天の都の住人にふさわしい品性をそなえるための天路歴程の旅を続ける者の集まりなのです。バニヤンの「天路歴程」にはその第二の意味合いが欠けているように思えます。

聖書の人バニヤン

★彼が「聖書の人」といわれ、聖書を愛読し、聖書の世界にどっぷりつかっていたように、私たちも聖書をよく学ぶと共に聖書をよく学ぶ他のキリスト者の体験や証言から学び自分自身の信仰と聖書理解を深めるべきです。聖書を読まない、あるいは聖書から学ぼうとしていない先輩キリスト者や牧師は反面教師として以外に全く学ぶ価値はありません。

天国への道からの脱線

 ★バニヤンは聖書を実によく読み、み言葉を覚えていることがうかがえます。しかし異言を始めとする聖霊の賜物については全く触れていないし、関心もないようです。異言が信仰と伝道の手段として有益であることを多少知っている筆者には残念です。聖書をよく読んだバニヤンもまだ知らなかった領域(聖霊の賜物)が聖書にはあったのです。聖書は、一人のキリスト者が一生かけても学び尽くせない霊的宝の宝庫なのです。
 ★牧師になってから仏教大学で仏教をわざわざ学んだ先輩牧師たちがいますが、キリスト者には脇道にそれて仏教など偶像教について学んでいる暇がないほど聖書の世界は広く深いのです。そして、人生は短いのです。
申命記12:30

あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らにならって、わなにかかってはならない。また彼らの神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、わたしもそのようにしよう』と言ってはならない。」

 とあります。牧師なら偶像教に改宗する危険はないとはいえ、信徒の模範でなければならない立場の者がみ言葉に反する行動を取ってはいけません。信仰の弱い信徒が、そういう牧師に啓発されて仏教の世界に迷い込まないとは限りません。

 ★天路歴程途上のクリスチャンは間違った道に進んだことに気づいた時、直ちに引き返しています。仏教の世界をのぞき見して時間を浪費しているキリスト者には直ちに引き返すことをお勧めします。

滅びの町からの脱出の勧め

 ★天路歴程の主人公クリスチャンは滅びの町からの逃れの旅に出ましたが、私たちが住む現代の世界がまさしくその滅びの町そのものであることは、聖書を読む私たちキリスト者ばかりでなく、時代を読む目を持つすべての人々が認めるところです。天路歴程のクリスチャンのように滅びからの救い主イエス・キリストを求めて直ちに天路歴程の旅に出ることを、まだ救われていない全ての人々にお勧めします。


2018年1月1日 公開

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