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    話の泉

〈25〉聖書から「佐世保女子高同級生殺害事件」
を考察する


聖書 
 ★「するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、『先生、何をしたら永遠の命が受けられましょうか』。彼に言われた、『律法には何と書いてあるか。あなたはどう読むか』。彼は答えて言った、『「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」。また、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」とあります』。彼に言われた、『あなたの答えは正しい。その通り行いなさい。そうすれば命が得られる』。
 ★すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、『では、私の隣人とは誰のことですか』。イエスは答えて言われた、『ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。するとたまたま、一人の祭司がその道を下って来たが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかって来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人の所を通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄って来て、その傷にオリーブ油とぶどう酒とを注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、「この人を見てやってください。費用が余計に掛かったら、帰りがけに、私が支払います」と言った。

 ★この三人の中、誰が強盗に襲われた人の隣人となったと思うか』。彼が言った、『その人に慈悲深い行いをした人です』。そこで、イエスは言われた、『あなたも行って同じようにしなさい』。」
ルカ10:25〜37


 「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。これが律法であり預言者である」。マタイ7:12



 
★筆者は精神病理学や少年犯罪心理学などについてはまったくの門外漢であり、その方面からの考察をする気はまったくありません。
 ★聖書の学徒として、聖書の光を通して、この前代未聞のゾッとする事件をあえて取り上げてみたいと思います。なぜなら、すべての出来事は、天の父なる神の摂理のもとで、神の認知する中で起きているので、神がこの事件によって何を私たちすべての人々に教えようとなさっているのかを学ぶ必要があるからです。
 ★まず、聖書はすべての人間が始祖アダムにおいて罪を犯した罪人であることを教えています。はじめの人間アダムが、サタンの誘惑に負けて罪を犯したので、その子孫の全人類が生まれながら罪の性質を持っています。
 ★サタン(悪魔)は、神に反逆して堕落した天使たちの頭目であって、その配下に悪霊どもがいます。天使総数の3分の1がサタンに組する暗闇の天使となったと言われます(2ペテロ2:4;ユダ6;黙示12:4)。サタンはその名前が「憎む者」「訴える者」「敵対者」という意味をもっており、旧新両約聖書に「神と人の敵」として登場して参ります。サタンはその本性が「偽り者」「盗む者」「殺す者」(ヨハネ8:44;同10:8〜10)であり、人間を神に敵対させ滅びに陥れることを本業としています(
キリスト教案内〈17〉異端とサタンについて)。
 ★サタンは神様のように、どこにでも存在する遍在者ではなく、「地上のあちらこちらを行き巡る」(ヨブ2:2)霊的被造物です。彼らは人を誘惑して、悪事を行わせたり、ヨブに対して行ったように、神の許可を取り付けて、人の身の上に病気や災難を及ぼすことがあります
(ヨブ1:6〜2:13)。そして、時には人の中に入り込んで、その人にサタンの計画を実行させたり(ヨハネ13:27)、人の中に住み付いて、その人を自制心を失った凶暴な猛獣のように変貌させたりします(マタイ8:28〜32)。ゲラサの悪霊付かれの人は、マルコ5:1〜20によると、自分を縛っていた鎖を自力で引きちぎっています。
 ★サタンがどのような人々を標的にするかを見てみますと、ヨブのように聖書の神に忠実に歩んでいる人、キリストの12弟子の一人のイスカリオテのユダのように会計係に任じられていながら、そのお金を盗んでいた偽善者
(ヨハネ12:6)、その他、理由の明確でないさまざまな人々がサタンの標的にされています。
 ★ヨブのような正しい信仰者をサタンはその信仰を奪い去ろうと攻撃して来ますが、主はその災いを善に変え、祝福に変えて、その信仰を一段とレベルアップしておられます。
 ★イスカリオテのユダの場合、サタンは彼の心の中に侵入して彼の人生の道を誤らせていますが、ヨブの場合は、彼の家族や彼の身の回りのものや身体に害をこうむらせながらも、ユダのように心にまで侵入することはありませんでした。


 
★さて、ここで本題の考察に入りたいと思います。筆者は、この事件は現代社会に生きるすべての人々とその家族に対する警告となるように、主が発生を許可された事件だと思います
 
★主イエスは、人間にとって重要な教えは、創造主なる神を愛し敬うことと、隣人を自分同様に愛すること(人からしてもらいたいことを人にしてあげること)のこの二つだと言っておられます(冒頭のマタイとルカのみ言葉参照)
 
★現代日本の社会と家庭とはこの二つの教えを無視して生きています。この間違った生き方の行き着くところが何処かを教えるために、主はサタンが地を行き巡って見つけ出した一人の女子高生の中に入り込んで猟奇的事件を引き起こすことを認可されたものと思われます。

 
「神はあなた方を顧みてくださるのであるから、自分の思い煩いを、一切神にゆだねるがよい。身を慎み、目を覚ましていなさい。あなた方の敵である悪魔が、吠えたける獅子のように、食い尽くすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔に向かい、信仰に固くたって、抵抗しなさい。あなた方のよく知っている通り、全世界にいるあなた方の兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。あなた方をキリストにある永遠の栄光に招き入れてくださったあふるるめぐみの神は、しばらくの苦しみの後、あなた方を癒し、強め、力づけ、不動の者にしてくださるであろう。どうか、力が限りなく、神にあるように。アーメン」。(Tペテロ5:7〜11)

 ★容疑者少女は、学業はトップクラスで、スポーツも出来る上、ピアノや絵もうまい多才で能力的には格別優秀な子だったそうです。
 ★しかし、残念なことに、この子は家庭生活の中で人を思いやる優しい心が育てられていなかったようです。
 ★世の人々は、こういう事件が起こると「命の大切さを子供たちに教えなければならない」と言いますが、それを教え込まれたとしても、相手の痛みを思いやる優しい心が育っていないなら何の役にも立ちません。
 ★この子は母親が病死した直後、再婚を考えて若い女性と交際を始めた父親に腹を立てて、寝込みをバットで襲って大怪我をさせたということですが、この子には人の痛みを思いやる心がなかったばかりか、父親を尊敬する心も全く育っていなかったようです。

 
★この子の実例を直視して世の親たちは子供の文武芸術の才能教育ばかりでなく、世界を裁く神への恐れと、人を思いやり親切にする隣人愛を育てることの緊急的必要性を覚えて頂きたいと思います。
 ★また、小中学高校生ばかりでなく、すべての人間が、この事件を自分と無関係な出来事として無視することなく、人の生き方を模索するために最適な聖書を手に取って読み、聖書を解かりやすく教えてくれる健全な、聖書に忠実なキリスト教会を訪ねて、語られる神の言葉に耳を傾けて頂きたいと思います。
 ★この事件の容疑者少女の罪が確定しても、自分の罪を悔い改めて世界唯一の救い主イエス・キリストを心から信じるなら、キリストにある新しい人となり、天国に行くことが出来ます。


 
「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者によって証されて、現わされた。それは、イエス・キリストを信じる信仰による義(すなわち「罪の赦し」)であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこには何の差別もない。すなわち、すべての人が罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、値なしに、神のめぐみにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである」。ローマ3:21〜24
 (かっこ内は筆者の解説)

 
「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古い者は過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。Uコリント5:17



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キリスト紀元2014年 8月 10日公開

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