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聖書的心の癒され方聖書の人物たちの心はどのように癒されたか―旧約篇〈T〉ヤコブの子ヨセフ


はじめに
 ★今はやりのインナーヒーリングの反聖書性を論じた以上、聖書的心の癒しについて語らざるを得ないので、これについての筆者なりの聖書の教えを数回に分けて書いてみたいと思います。
 ★まず、17歳の少年の時に、父親のいないところで、兄たちに奴隷として無理やりに売り飛ばされた、ヨセフを取り上げます。心に傷を負わされた聖書の人物として一番先に思い起こさせられたからです。今、我が国で問題になっているいじめと家庭内虐待とを一緒にしたような出来事です。

ヨセフの物語―あらすじ
 ★ヨセフの心の傷とその癒しについて語るにはその物語をある程度書かなくては理解が深まりませんので、まず、その物語からはじめます。創世記37章から50章までに描かれています。少々長くなりますが、お付き合いください。

 ★ヨセフの父ヤコブは二人の妻と二人のそばめを持っていましたが、その中の一人の妻をはじめから寵愛していました。そのため、その妻が生んだ息子ヨセフを偏愛し、服まで特別のものを着せていました。そのため、当然のことながら兄たちにねたまれ、憎まれました。
 ★その上、彼が自分が見た夢を兄たちに語ってから、兄たちの憎しみは募りました。その夢というのは、「畑で私が束ねたたばが立ち上がり、あなた方のたばねた束が私の束の周りに来て、お辞儀をした」というものでした。
 ★兄たちは「お前は私たちを支配する王になろうとでもいうのか」と言って、激しく彼を憎みました。
 ★ある日、兄たちが野で羊の群れを世話している時、父の命令で兄たちの様子を見に行きました。兄たちは、弟ヨセフを捕らえて、10人の兄たちの4番目の兄ユダの提案で、通りがかりの外国の隊商に奴隷として売渡し、彼の着ていた服を切り裂いて、ヤギの血に浸して父のもとに持って行きました。当然のことながら、父はヨセフが猛獣に襲われ食われたものと断定し、ひどく悲しみました。
 ★ヨセフは、イシマエルの隊商に売られた後、エジプト王パロの侍従長ポテファルの奴隷となりました。
 ★ヨセフは父から学んだ主なる神へのあつい信仰と誠実で賢明な働きの故に主人に認められ、主人は彼を家の全財産の管理人に任命しました。ヨセフが兄たちに売り飛ばされてから、およそ10年がたっていました。

 ★ヨセフが家の管理人になると、家の主人の妻は美男子だった彼に目をつけ、「私と寝ておくれ」と毎日迫って来ました。
 ★ある日、家人がいない時、例のごとく主人の妻が言い寄ってきて彼の上着をつかみました。彼はその上着を彼女の手に残してその場を逃れました。
 ★主人の妻は、その上着を証拠品として、「あのヨセフは私を襲い、私が叫んだのでこの上着を置いて逃げました」と偽証して主人に訴えました。
 ★主人はそれを聞いて怒りに燃え、ヨセフを王の囚人のための監獄に入れました。

 ★ヨセフは監獄に入れられても、侍従長の家の管理人だった時と同様「主が彼と共におられた」ので、監獄の長は彼を今度は囚人たちの管理人に任命しました。
 ★彼が監獄の管理人になってから、王の役人の二人が王の不興を買って投獄されてきました。この二人が同じ夜にそれぞれ別の夢を見ました。その二人がそれぞれの夢のことで悩んでいる様子を見て、二人に尋ねると、その一人が自分の見た夢を語ってくれました。ヨセフが解き明かしてやると、その解き明しが良かったので、もう一人も夢を語りました。二人の見た夢の説き明しはズバリ的中し、初めに夢を語った役人は三日目に元の務めに復職し、後で夢を語った役人は、ヨセフの解き明かした通りに三日目に処刑されました。

 ★ヨセフの説き明しの通り、王の献酌官に復職した人は、ヨセフに彼の無実のことを王に伝えてくれるように頼まれたことを忘れていましたが、ある時、王が不思議な夢を見て、その解き明しを求めていることを聞いた時、ヨセフのことを思い出し、ヨセフを王に紹介しました。ヨセフが投獄されてから3年ほどたっていました。
 ★王は早速、ヨセフを地下牢から引き揚げ、見た夢を語り、解き明かしを求めました。王の見た夢は「ナイル河から太った七頭の牛が上がってきて草をはんでいるところに、後から七頭の痩せ細った七頭の牛が上がってきて、先の七頭を食い尽くした」。続いて「一本の茎によく実った七つの穂が出て来た。その後から貧弱な七つの穂が出て来て、先の良い穂を飲み込んでしまった」という二つの夢でした。
 ★ヨセフは、「夢の解き明かしは、私ではなく神のなさることです」とした上で、「その解き明かしは、二つの夢は一つで、神はこれからなさることをパロに示されたのです。
 ★七頭の立派な雌牛も七つの良い穂も、七年の豊作のことで、七頭の醜い雌牛も七つのしなびた穂も七年の飢饉のことです。
 ★今すぐ、エジプト全土に七年の大豊作が訪れ、その後七年の大飢饉がやって来ます。
 ★ですから、王様。今すぐ、知恵のある人を見つけ、エジプト全土をその人の支配のもとに置いて、七年の大豊作の間に、大飢饉の到来に備えさせなさるように」と王に進言しました。

 ★王はヨセフのこの解き明かしとその進言をしたヨセフとに痛く感動し、ヨセフその人をエジプトの宰相に任命しました。
 ★王はヨセフがポテファルの家でも、監獄でも忠実な管理人としての賜物を十二分に発揮していたことを聞いて、このヨセフのほかに国の将来を任せられる者はいないを判断したようです。
 ★この時、始まった飢饉はエジプト周辺国を巻き込む大飢饉だったので、神の民イスラエルが住んでいたカナンの地方も飢饉に見舞われ、ヨセフの兄たちがヨセフがエジプトの宰相の地位に抜擢されていたことをつゆ知らず、ヨセフのもとに穀物を買いにやって来ることになったのです。

 ★エジプトの宰相になり、エジプトの偶像太陽神オンの祭司の娘を妻にしてから、ヨセフの生活は大きく変わりました。それは、彼が妻に生ませた二人の息子に付けた名前に表われています。
 ★長男にはマナセ(忘る)という名をつけて、「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」と言っています。また、二男にはエフライム(実る)と名付けて、「神は苦しみの地で私を実り多い者とされた」と言っています。
 ★彼は異教の地で高い地位に着き、主なる神の信仰者としてははなはだ難しい状況に置かれました。「神が自分をこうしてくださった」と言って、父ヤコブの神に対する信仰を表明してはいますが、宰相になる前に「主が彼と共におられた」と言われていたその厚い信仰は影をひそめ、後に出てくるように、占いに手を染めてしまう
(創世記44:5、15)ほど、真の神への信仰は後退し、霊性はダウンしていたようです。

ヨセフの心の傷はどのように癒されたか
 ★17歳の少年の時に兄たちに裏切られ、奴隷として売られたヨセフは心に大きな心的傷害を負わされていたに違いありません。その彼がその心の傷をその後どう癒されていったのでしょう。

 ★その答えの一つは、すでに取り上げている「主は彼と共におられた」
(創世記39:2,3、21,23)という宰相になる前の彼についての聖書の表現にあります。
 ★父ヤコブの寵愛の中ではぐくまれた主なる神に対する厚い信仰が、彼のこうむった心的障害と戦い、これを克服する最大の力となりました。
「私は主、あなた方を癒すものである」(出エジプト15:26)

 ★次に、兄たちが自分の目の前に来た時、自分をイシマエルの隊商に売り飛ばした、兄ユダが人間としても信仰者としても立派に成長し、弟ベニヤミンをかばって、自分が身代わりになって宰相の奴隷となっても構わないから、弟を父のもとに帰してやってくださいと懇願する姿を見て心を打たれ、兄を憎む心を悔い改め、罪を赦す憐れみ深い主なる神のもとに立ち帰ったと思われます。
「われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をお赦し下さい」(マタイ6:12)
 ★そのことは、ヨセフが兄ユダの弁明を聞いた直後、エジプト人の使用人たちを人払いして、兄弟たちの前で、「私はあなた方の弟ヨセフです」と告白して大泣きに泣いたことに表われています
(45:1,2)

 ★三番目に、ヨセフの尽力によりエジプト移住を果たした時、宰相ヨセフの前でひれ伏す父の全家の姿を目の当たりにして、17歳の少年の時に見た夢がここに実現しているのを見て、主のなさることに間違いがないこと、そして主なる神は兄たちの裏切りの悪行を用いて、イスラエルの全家を救うという祝福を生み出してくださったことを悟りました。
 ★ですから、父ヤコブが天寿を全うして、天の御国に召された後、弟ヨセフの復讐を恐れて、兄たちが、ヨセフに「父が『兄たちの罪を赦してやってくれ』と言った」と言ってきた時、ヨセフは言っています。

 「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになれるでしょう。あなた方は私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました。それは今日のように多くの人々を生かしておくためでした」
(創世記50:19,20)

 ★ヨセフは主なる神のみ名によって兄たちの罪を赦すことによって、自分の罪の赦しを確認し、悪を善に、災いを祝福に、マイナスをプラスに変えてくださる神の御手によって、自分の受けた心的傷害も祝福に変えてくださると信じ、万事を益(最善)となす主の御手に自分の身も心も委ねるものとなったのです
(ローマ8:28〜30)。加害者ユダが主の御手によって成長したように、ヨセフも主にある大人へと成長していました。
 ★ヨセフが兄たちから受けた心的外傷は主の御霊とみことばによって癒されたとはいえ、その傷の名残は世にいる間は残ります。しかし、天の御国に移された後は、その傷は完全にきれいさっぱりと消え去るのです。

 
「私はまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとってくださる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』」。(ヨハネ黙示録21:1〜4)



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キリスト紀元2012年 10月 18日公開


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