ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
   みことば黙想

〈42〉キリスト者の心身の癒しの手段としての聖餐式-聖書が教える正しい真のインナーヒーリング

聖書
 「私は主から受けたことを、また、あなた方に伝えるのである。
 すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝してこれを裂き、そして言われた、『これはあなた方のための、私のからだである。私を記念するため、このように行いなさい』。食事の後、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、私の血による新しい契約である。飲むたびに、私の記念として、このように行いなさい』。
 だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。だから、相応しくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主の身体と血とを犯すのである。誰でもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。主の身体をわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分に裁きを招くからである。あなた方の中に、弱い者や病人が大勢おり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。しかし、自分をよくわきまえておくならば、私たちは裁かれることがないであろう。しかし、裁かれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。それだから、兄弟たちよ。食事のために集まる時には、互いに待ちあわせなさい」。
 Tコリント11:23〜33



はじめに

 ★
キリスト教会にとって不要で余計なというより、有害で邪悪なインナーヒリングという現代心理学を取り入れた似非療法が現代教会に跋扈(バッコ、のさばること)している背景には、キリスト教会が聖書を軽視し、目に見えるみことばなる礼典、特に聖餐式を軽んじているためであると言って過言ではないでしょう。


T.聖餐式の守り方の現況

 ★主イエスが直接制定された聖餐式が、今日、正しく聖書的に主が意図された仕方で、その意味が十分理解された上で執行されている
でしょうか。もしそうでないなら、教会は大きな損失を被っていることになります。
 ★たとえば、執行の頻度について言えば、主の日の礼拝ごとに行う教会、月一度の教会や思い出したように年にまたは何年かに一度の教会もあります。
 ★また、陪餐者について言えば、小学生や幼稚園児(信仰者の子ではありますが)に参加させたり、未信者にも参加させたりする教会もあります。
 ★また、配られたパンや葡萄酒を会衆が一緒にいただく教会と配られたら皆と一緒にでなく、各自勝手に口に運ぶ教会とがあります。
 ★また、司式者がパンを裂くところを会衆に見せている教会とその行為を省略している教会とがあります。
 
U.聖餐式の目的と意義
 ★まず、主が聖餐式を定められた目的と意義について、聖書から学びましょう。
 ★聖餐式はユダヤの過ぎ越しの祭りの日に、その過ぎ越しの小羊が象徴する本体であられるイエス・キリストが、ご自身の血潮によって成り立つ新しい契約のしるしとして、制定されたキリスト教会の礼典(洗礼と聖餐式)の一つです。

 
「この杯は、あなたがたのために流す私の血で立てられる新しい契約である」(ルカ22:20)

 ★その新しい契約は、イエス・キリストの十字架の死が私達の犯した罪のための身代わりの死であり、彼の死と復活を信じる者は誰でもその罪が赦され、天の御国の永遠の命を与えられるという間違いのない真実の契約です。
 ★聖餐式は洗礼と並んで二つだけのキリスト教会の聖書が認める礼典です。礼典とは神の恵みの契約の証印であり、目に見える形に表された神のことばです。
 ★教会の会衆の前でパンが裂かれるように、主イエスの身体は十字架の上で裂かれ、血を流し、肉体と血に分離され、確かに死なれました。このパンとブドウ酒にあずかることによって、私達もキリストと共に自我と自分の罪に死ぬのです。
 ★そして、主が死後三日目に墓から永遠に死なない栄光の身体によみがえられたように、信じる私達も日々新しくされるのです。

V.聖餐式の守り方
 ★このように、聖餐式はキリスト信仰者のためのものですから、未信者や求道者や自分を吟味できない児童には参加資格はないのです。場合によっては、信仰者でも姦淫を犯した直後のダビデのように参加資格のない人々もいます。ですから、参加する前に自分をよく吟味してから参加することが求められます。

 
「相応しくないままで、パンを食し、主の杯を飲む者は、主の身体と血とを犯すのである。誰でもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。主の身体をわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分の身に裁きを招くからである」。(Tコリント11:27〜29)
 
 ★また、聖餐式はその主旨からして、毎週の主の日の公同礼拝で執行されるのが聖書的です。
 ★年に一度か数年に一度、牧師の気の向いた時に行うなどというのはもってのほかです。そういう教会が現実にあるのです。
 ★また、パンやブドウ酒が配られたら、各自がてんでにそれを口に運ぶ教会もあります。聖餐は主との交わりの場であるだけでなく、主にある兄弟姉妹との交わりの場でもあるので、てんでんばらばらにではなく、皆一緒に食するべきです(Tコリント11:21)。家族がてんでんばらばらに食事をしていたのでは家族に一体感が涵養されないのと同じことです。

W.聖餐式を通して受ける祝福
 ★聖餐式こそ、主が用意してくださった、インナーヒーリングの場であり、霊的リバイバルの時であり、身体のリフレッシュの時であり、病人には病の癒しの場ともなります。
 ★なぜなら、聖餐式は信じる者にとって、いのちと祝福の元であられる主イエスと交わる時であり、癒しの主のみ身体に触れる時だからです。
 ★現代心理学を取り入れた反聖書的インナーヒーリングはキリスト者にとって有害無益な代物であり、直ちに関係を断つべきものです。
 ★主ご自身が言われるように、主の恵みは求める者に、より豊かに与えられます(ヨハネ10:10)。
 ★また、旧約時代の栄光はモーセの顔の光のように消え去るものでしたが、新約の時代に生きる私たちに与えられる栄光は栄光から栄光へと輝きを増す栄光です。

 
「今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。主は霊である。そして、霊のあるところには、自由がある。私たちは皆、顏おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられてゆく。これは霊なる主の働きによるのである」Uコリント3:15〜18)。

 「だから、私たちは落胆しない。たとい私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされて行く。なぜなら、このしばらくの軽い艱難は働いて、重い栄光を、あふれるばかりに私たちにえさせるからである」。(Uコリント4:16〜17)


 ★主の御力は、
弱いところに完全に働く力です(2コリント12:9)。日々のデボーションの時と同様に、聖餐式においても、自らの弱さを主に告白して参加する時、主のみなぎりあふれる御力をいただくことができるのです。
 ★主イエスの十字架と復活の直後、二人の弟子たちが復活の主であることを知らずに復活の主に出会い、共に宿で夕食を共にし、主がパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡した時、その時初めて彼らの目は開かれ、その方が主であると悟りました。後に、彼らはその時のことをこう語っています。

 
「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心は内に燃えていたではないか」。ルカ24:32
 
 ★聖餐式の場は、このように御霊によって生ける主に出会い、心が燃やされ、傷ついた心も癒される場なのです。

結び
 ★教会の牧師、長老の方々にお願いします。聖餐式を御言葉に照らして見直してください。そして、信徒、求道者に聖餐式の霊的意味を聖書によって解き明かしてください。
 ★聖餐式を大事にする思いが余って、この宝を仕舞い込んで宝の持ち腐れにしないでください。
 ★「うちの教会が聖餐式をしてくれないので、聖餐式を求めて他の教会に足を延ばしている」というある信徒の話を聞いたことがあります。
 ★信徒の皆さんに、お勧めします。年に一回位しか聖餐式を行わない教会におられる方は、少なくとも月一回は守るように指導者に懇願してみてください。
 ★また、たとえ年に一度の聖餐式であっても、それによって、あふれんばかりの祝福にあずかれるように、十分心の準備をし、自分を吟味して、主にあって真剣なこころで参加してください。間違いなく、大きな祝福にあずかれます。



URL http://31church.net
キリスト紀元2013年 2月 28日公開


38