ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
   みことば黙想

〈43〉ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者とは?

 
「さて、兄弟たちよ。私の身に起こったことが、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなた方に知ってもらいたい。すなわち、私が獄にとらわれているのはキリストのためであることが、兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、そして兄弟たちのうちの多くの者は、私の入獄によて主にある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言葉を語るようになった。一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいる。後者は、私が福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、前者は、私の入獄の苦しみに更に艱難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしている。
 すると、どうなのか。見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、私はそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう。なぜなら、あなた方の祈りと、イエス・キリストの御霊の助けとによって、このことがついには、私の救いとなることを知っているからである。」
ピリピ 1:12〜19


はじめに

 ★キリストの福音を信じて宣べ伝えている者たちの中にねたみや闘争心からそれをしている者たちがいる、と本書簡の著者パウロが
1:15で語っていますが、今回はこの聖句を黙想したいと思います。
 ★著者パウロは更に続けて、その者たちは「私の入獄の苦しみに更に艱難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしている」と解説し、それでも「見えからであるにしても、伝えられているのはキリストなのだから私はそれを喜んでいる」と語っています。

間違った動機で純正な福音を伝える人々と真面目な動機で異端の教理を伝える人々
 ★ガラテヤ書1:8で同じ著者使徒パウロはこう書いています。「たとい私たちであろうと、天からのみ使いであろうと、私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなた方に宣べ伝えるなら、その人は呪われるべきである」。
 ★従って、ピリピ1:15でパウロが語っている「ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝えている者たち」とは、異端の福音を語る人々のことではなく、純正な、本物のキリストを語る人々の中の一部の人々のことであることが分かります。
 ★異端のキリストを伝える人々については、彼らが真面目な動機で伝えているとしても、私たちはパウロと共に、「そのような人々は呪われるべきだ」と宣告し、彼らを拒否しなければなりませんが、本物の福音を伝える人々については、彼らの動機が何であろうとも、彼らの働きを受け入れ、その働きを喜ぶべきです。
 ★その人々が間違った動機で伝道していたとしても、その動機については、私たちが裁くことではなく、主なる神の裁きに任せるほかはありません。
 ★残念ながら、間違った動機で福音を伝えている人々がいます。人々を永遠の滅びから救うためではなく、彼らは自分の名誉を高めるために伝道しています。また、自分の教会の教勢を拡張拡大させることに夢中なあまり、近所の福音的で健全なライバル教会の繁栄を素直に喜びません。使徒パウロのようにキリストの体なる教会としてのキリスト教界全体の祝福と繁栄を喜ぶ大きな広い心を持ち合わせていません。
 ★牧師・伝道者ばかりでなく、一般信徒の場合も、家族伝道を強制され、家族をキリストに導けていない信徒が、肩身の狭い思いをさせられている教会もあるようです。
 ★確かに、家族伝道はすべてのキリスト者の重荷ではありますが、同時に、一人がキリスト者になると、その家族の者が、その人の敵になることも、当然のこととして聖書は語っています。家族伝道をノルマとして教会員に課している教会は聖書的に健全ではありません。

 
「地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和でなく、剣を投げ込むために来たのである。私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。」 マタイ10:34〜36

純正な福音を語り伝えることはすべての伝道者・牧師の必要不可欠条件であること

 ★前述のガラテヤ1:8で著者・使徒パウロは「私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなた方に宣べ伝えるなら、その人は呪われるべきである。」と語っています。聖書の語る福音に手を加えてゆがめることなく、聖書の語るままの福音を忠実に語ることが、伝道者・牧師の守るべき至上命令です。
 ★この至上命令に違反して純正な福音に、次のような不純物を混入させている牧師・伝道者・聖書学者らは世の終わりの日に、神の厳しい裁きを覚悟しなければなりません。すなわち、聖書の教えの中に進化論やビッグバン理論を混入させている・現代心理学とオカルトとの混血児であるインナーヒーリングを教会のプログラムに取り入れる・キリストを信じるなら誰でも金持ちになるなどの不純な教えなどを広める牧師・伝道者・聖書学者たちは神の裁きを逃れることは出来ないでしょう。

純正な福音を語りながら、間違った動機で語る牧師・伝道者のその心の中の思いは、神が適正に判別して、正当に裁かれること
 ★み言葉の教師は一般信徒より厳しく裁かれることが定まっています。

 
「私の兄弟たちよ。あなた方のうち多くの者は、教師にならないがよい。私たち教師が、他の人たちよりも、もっと厳しい裁きを受けることが、よくわかっているからである」。へブル3:1

 ★牧師であれ、一般信徒であれ、福音を伝える動機が、神の目から見て不純であっても、その人の人生が純粋に聖書のキリストに土台を置いたものであったなら、その人の業績がすべて終わりの日の裁きの火に焼き尽くされ消え去っても、その人自身はかろうじて救われます。

「なぜなら、すでにすえられている土台以外のものを据えることは、誰にもできない。そして、その土台はイエス・キリストである。この土台の上に、誰かが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。」Tコリント3:11〜15

結び
 ★自分たちの地上での名声を求めて、パウロがキリストのみ名のために投獄されていることを喜び、パウロの留守の間に、当時のキリスト教界での影響力を占有しようとしていた連中は、福音の働き人としてある程度の成功を収めたかもしれません。
 ★しかし、十字架のキリストにあって、自分の名誉・欲望にすでに死んでいるパウロは、彼の投獄を喜ぶ、心の狭い働き人たちの働きをも喜びとするキリストの心、御霊の思いによって、その獄中生活は、祈りと賛美とによる主なる神との深い交わりの好機となり、当時のキリスト者ばかりでなく、後世の私たちをも生かす獄中書簡と呼ばれるピリピ、コロサイ、エペソ、ピレモンという新約聖書の中の4つの書簡を生み出すこととなったのです。

「なぜなら、キリストの愛が私たちに強く迫っているからである。私たちはこう考えている。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために、生きるためである」。Uコリント5:14,15


URL http://31church.net
キリスト紀元2013年 10月 2日公開


39