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   みことば黙想


〈49〉キリストは地上で神の在り方をすてられたのか

 ★ピリピ書2章6節のみ言葉は、新改訳も口語訳も共に主イエスが地上では神としての在り方を捨てられたかのように表現されています。

 新改訳

「キリストは神の御姿であられる方なのに、神の在り方を捨てられないとは考えず、」

 口語訳

「キリストは神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、」

 ★この両訳は共に、キリストが地上におられた時、神の在り方を固守すべきこととは思わず、神としての在り方を捨てたという意味の文章になっています。

 ★この訳は2:6の原語ギリシャ語のハルパグモスという名詞の異なった二つの意味の一つを採用した訳で、新約聖書が描くイエス・キリストの神性についての描写と合致していません。

 ★ハルパグモスという名詞は本来「略奪」という意味で、この意味から「握りしめるべき特権」という意味が出て来ました。

 ★従って、この2:6は先の両訳の他に「神と等しくあることを略奪とは考えず」と訳すことも出来るのです。

 ★実際、英語の新旧欽定訳聖書(New King James Versionはそのように訳しています。NKJBとその日本語訳(私訳)を以下に引用し付記します。

NKJV  Phil.2:5-7

5 Let this mind be in you which was also in Christ Jesus, 6 who, being in the form of God, did not consider it robbery to be equal with God, 7 but made himself of no reputation, taking the form of a bondservant, and coming in the likeness of men.

 私訳

 「5キリストのうちにも見られるこの思い(2:2-4の思い)をあなた方もいだきなさい。6キリストは神のかたちで在られ、神と等しくあることを(神からの)略奪とは考えておられなかったが、7しかし、しもべのかたちを取り、人の姿で来られ、人には評価されないことを良しとされました。」

 ★新約聖書を注意深く読めば、キリストが地上で神の在り方を固守すべきことと思わず、神の在り方を捨てたという解釈と合致しない証言がいくつかあります。

 ★その一つは、最初のクリスマスの時、幼子イエスは東方から来た博士たちの礼拝を受けておられます(マタイ2:11)。

 ★また、生まれつきの盲人の物乞いの目が癒され、見えるようになった時、その元盲人は、自分を癒してくださったお方がキリストだと知った時、彼は主を礼拝したと記述されています(ヨハネ9:38)。

 ★主イエスがペテロをはじめ3人の弟子たちを連れて高い山に登られた時、彼らの目の前で、お姿が変わり、御衣が光のように白く、御顔が太陽のように輝くという出来事がありました(マタイ17:1−8)。この出来事は、キリスト再臨後、再創造される天の都において、御父と御子が都の太陽になるという記述(黙示録21:23)と合致していて、キリストの神性の地上での顕現の一つです。

 ★主イエスが、エルサレムの宮におられた時、ユダヤ人に囲まれ議論になった際、主は「私と父(神)とは一つである」と証言され、その発言を「自分を神と等しくした」と正しく理解した、彼らユダヤ人が、イエスを神を冒涜する者として殺そうと石を取り上げたとあります(ヨハネ10:30−31)。

 ★以上のように、主イエスは地上で、ご自分の神性を決して捨ててはおられないことがはっきりと分かります。

 ★ですから、ピリピ2:6の原語ギリシャ語の正しい訳はKJVの訳であり、「キリストは神のかたちで在られ、神と等しくあることを(神からの)略奪とは考えておられなかったが、」と訳すのが教理的に正確であると言えます。

 ★「神と等しくあることを略奪と考える」という意味は、「サタンが人類創造以前の太古の昔に、神に反逆して神の地位を僭称(センショウ=身分を超えた地位・名称をとなえること)したのと同じように、ご自分も神の御名を僭称しているとは考えず」という意味です。

 ★高名な聖書注解者マシュー・ヘンリーMathew Henryはこの解釈に立っています。

 ★クリスマスのこの季節に、キリスト降臨の形に関するみ言葉の正確な理解のために、この一文を書き加えました。

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キリスト紀元2015年 12月 15日公開


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