ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
     メッセージ

〈40〉創世記第1章の1日は、24時間かあるいは千年か万年か ― この問題がキリスト者にとって重大な
意味をもっていることについて

はじめに
 ★NHKの日曜日の番組「ダーウインが来た」が進化論を前提に作られているように、世の中は進化論が立証された真理であるかのようにみなしています。
 ★進化論者は地球は何億年かの年を経ており、その気の遠くなるような年月の中で生物が進化し、アメーバーから猿、猿から人間に進化したと考えています。
 ★この進化論と聖書の創造論とは水と油のように相容れないものですが、クリスチャンの中にはこの二つを融合させようとして有神論的進化論なる説を唱える人達がいます。
 ★彼らは、創世記第1章の創造の1日を何万年かの長年月と考えます。従って、発掘された恐竜の化石などは数万年の年月をかけて形成されたものだと断定します。

化石の形成に要する時間
 ★化石ができるまでには何万年かの長年月を要すると一般に考えられています。しかし、化石が出来るまでの時間は案外短時間であることが分かってきました。数百年前に難破沈没した船舶の積荷の一部の化石化したものや、数十年前の工業製品である時計やおもちゃが土砂に埋もれ、そのまま化石となって発見されたものもあります。
 ★従って、恐竜の化石などは、人類が登場する以前何万年か前のものではなく、聖書に出てくるアダム堕落以後のノアの洪水によって作られたものであると断定して間違いありません。
 ★恐竜の化石の中には、食うか食われるかの死闘のさなかに相手の恐竜から受けた歯型がクッキリと身体に残っているものや、その腹の中に他の動物や仲間の肉体の一部とみられるものがあって、彼らが肉食で、共食いもしていたことが明らかになっています。

 ◆創造論を具体的証拠を挙げて立証を試みている英語サイトCreation Ministries International

人間の創造と罪
 ★旧約聖書創世記によると、神が創造されたままの世界とその中にあるものは、最善であり、神がご覧になって「良しとされた」世界でした。そこには死もなく共食いもありませんでした。野獣を含めた動物も人間も神に与えられた食物は共に植物でした。すなわち、彼らは皆草食主義者でした。
 ★野獣や恐竜の一部が肉食となったのは、アダムの罪のために、地が神にのろわれたためでした。人間と生き物の世界に闘争や病気や死が入り込んできたのは、人間アダムの罪のためだったのです。
 ★救い主イエス・キリストがベツレヘムのうまやにお生まれになり、十字架にかかって死なれ、三日目に墓からよみがえられたのは、私たち信じる者を地獄の滅びから救い、病気や災いや死の無い、至福の新天新地に迎え入れるためでした。
 ★しかし、もし人類最初の人間アダムが造られた約6000年前よりはるか昔の何万年か前に、恐竜が殺し合い、共食いをしていたとするなら、アダムが罪を犯す前の世界は最善ではなかった、争いや共食いや、病気や死がすでにあったということになります。
 ★従って、創造の6日の1日を24時間でなく、何万年かの年月を意味するとするクリスチャンは、上記の理由により自分が信じているキリストの救を自分で否定していることになるのです。

創造の4日目に太陽が造られた後の3日と、それ以前の3日とは同じ時間の長さだったのか
 ★モーセの十戒の一部である出エジプト記20:8〜11は、天地創造の6日間はその後の人類の日常生活を律する規範としての6日であり、今日の1週間の中の6日と同じ長さであったことを証言しています。

 
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日の間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの街囲みの中にいる在留異国人も。それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」。
出エジプト20:8〜11


 ★それでは、太陽が造られてなかった時の3日はどのようにして昼と夜とが区別されたのだろうか。
 ★太陽は4日目にはじめて造られたのであり、それ以前には存在しませんでした。神は第1日目に太陽とはかかわりのない「光」を造られ、その光によって昼と夜との区別を設けられました。
 ★この太陽とは別の「光」は聖書の他の箇所にも登場しています。

 
「モーセが天に向けて手を差し伸ばした時、エジプト全土は3日間真っ暗闇となった。三日間、誰も互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかし、イスラエル人の住む所には光があった」。出10:22,23 

 「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らはひどく恐れた」。ルカ2:8,9

 「それから、六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、み衣は光のように白くなった」。 マタイ17:1、2 

 「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下ってくるのを見た。・・・都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである」。 黙示21:1、2、23

 
★創造の初日に太陽と無関係の光を造られ、その光によって3日目に地の上に生え出でさせた草木を育てられたのは、人間の堕落後に生じる太陽神信仰をあらかじめ牽制する為であったと見ることもできます。
 ★聖書の神は、太陽なしで、人類と世界を生かすことが御出来になるのです。


結び
 ★結局、人は聖書という基準をもって世界の真相を判断し、キリストを信じて救われるか、それとも人間が作り出した「科学」を尺度として聖書を判別して滅びの道を突き進むのか二つに一つの道の選択を常に迫られているということになります。


URL http://31church.net
キリスト紀元2012年 9月 20日公開


40