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     メッセージ

〈41〉再び、み言葉を聞くことの飢饉の時代
について


 
「主なる神はいわれる、『見よ、わたしが飢饉をこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水に乾くのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたからかなたへ馳せまわる、しかしこれを得ないであろう』」。旧約聖書アモス8:11,12

はじめに

 ★以前に「み言葉を聞くことの
飢饉が来る前に」という題で上記のみ言葉について「み言葉黙想欄」に書きました。今回は前回とは違う視点から書きます。

み言葉を聞くことの飢饉の意味について

 ★前回はこの意味を「聖書が手に入らなくなって、自由に読めなくなる」時代のこととして論じましたが、今回は別の意味で論じます。
 ★アモス書の原語の「聞く」の意味は、単に受動的に「聞こえる」という意味ではなく、「能動的に、知的、理性的に聞いて理解する」ということだそうです。「だそうです」というのは、筆者が神学校時代、旧約聖書の原語としてのへブル語入門を一応学びはしましたが、その後あまり使わないで過ごしてきたため、今ではヘブル語を理解し、知っているとは言えない状態だからです。
 ★というわけで、「み言葉を聞くことの飢饉」とは、み言葉を耳で聞き、目で読むことは出来ても、そのみ言葉を知的に霊的に理解し、悟ることの出来ない状況ということになります。

み言葉を聞くことの現代キリスト教会の状況
 ★さて、この意味で現代のキリスト教界を見渡して見る時、信徒や求道者に主のみ言葉は正確に、十分に理解される仕方で宣べ伝えられているでしょうか。
 ★新約の使徒行伝に記された出来事です。エチオピアの女王カンダケの高官で宦官(かんがん)のエチオピア人がエルサレムでの礼拝を終えて帰国の途上、馬車に乗りながら旧約聖書イザヤ書を音読していた時、初代教会の執事の一人ピリポが聖霊の道案内でその宦官に出会い、「あなたは読んでいることがお分かりですか」と尋ねました。すると、そのエチオピア人は「誰かが手引きしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えています(使徒8:26〜35)。
 ★このエチオピア人は当時のユダヤ教に改宗した人ですから、キリスト教会から見ると、この人は一求道者でした。このエチオピア人の言う通り、求道者ばかりでなく、一般信徒にもみ言葉を解き明かしてくれる人(牧師、伝道者)が必要です。
 ★ところが、今日、異端の教会ではなく福音的、聖書主義的プロテスタント教会においてさえ、聖書が正統的に、正確に、本来の意味に忠実に誠実に宣べ伝えられることが少なくなっています。
 ★その状況は、新約聖書の時代、主イエスが救い主としての働きをなさっていた頃、み言葉(聖書、律法)が人々の間で、言い伝えによってゆがめられていたのと、状況がよく似ています。
 ★み言葉がゆがめられている現況について、その実例のいくつかを挙げるなら、創世記第1章の創造の6日間の1日は24時間の1日ではなく、千年か万年かの長年月のことであり、神の創造の第1歩は学者が空想によって造り出したビッグバン理論にそって始まったのだとする、キリスト教会の伝統的創造論とは全く異質な珍説がキリスト教界にはびこっています。
 ★また、心の癒しの面では、み言葉と御霊の働きだけでは不十分なので、現代心理学とサタンとの共同作業によって生み出されたインナーヒーリング技術を取り入れる必要があるとして、キリスト教会へのサタンの侵入を許しています。
 ★また、多くの福音派教会で、「異言を語ることを禁じてはならない」(新改訳Tコリント14:39)という明確なみ言葉をこの世的常識に基づいて平然と禁止しています。 
 ★また、み言葉の解き明かしが主体であるはずの礼拝説教が海外旅行の話や映画の話に終始した説教をその礼拝の出席者の一人として聞かされたことがあります。(その海外旅行が当時リバイバル中だったアルゼンチンの教会への訪問旅行であったり、その映画がナチスのユダヤ人迫害をテーマにしたものだったとは言え、聞き手側には説教としての神の言葉の恵みはほとんど伝わってきませんでした)。
 ★筆者が大学生信徒として出席した教会の祈祷会で牧師が自分が今学んでいる仏教史の話を聖書そっちのけで講義してくれて、聞き手の一人としてうんざりさせられ、霊の糧の代わりに毒草を食わされた羊のような思いをさせられたことがありました。
 ★当サイトの読者から、「私の教会の礼拝では、牧師は一応聖書は朗読しても、説教はそのみ言葉とは関わりのない現代心理学の話やそれに基づいた人生訓のような話をする」との報告がありました。
 ★かくのごとく、現代のキリスト教会の信徒・求道者はアモスの預言の通りのみ言葉を聞くことの飢饉の真っただ中に置かれているようです。

このような状況を信徒・求道者が乗り切る方法
 ★旧新両約聖書全巻を計画的に通読し、内容を把握するために各章の要約・アウトラインをノートに書き取ることです。筆者は大学生の時、夏休みにエアコンも扇風機もない自宅で聖書全巻を12日間で通読した経験があります。ただし、その期間は新聞も読みませんでしたが、食事は普段通り取りました。
 ★牧師になってからは、聖書全巻の要約を大学ノート5〜6冊に書き取る作業を8か月ほどでやり通しました。これを人にも勧めたいと思いましたが、我ながら、人に見せるには字が汚すぎると反省し、もっときれいに書くために、もう一度やり直し、二度目は感話も書き込んで、やはり8か月ほどかけてやり遂げました。
 ★この旧新両約聖書全巻要約書き取りの2度の実践が、筆者に「私は、聖書を知っているぞ」といういい意味の主にある自信を与えてくれました。
 ★このように、聖書をとことん読み込んでいるなら、「キリストの文字通りの肉体の復活はなかった」とか、「聖書の創造論と進化論とを折衷した進化論的創造論もありうる」とか、「世界はビッグバンによって始まった」などという馬鹿げた異端の教説が如何に反聖書的であるかを骨身にしみて納得させられます。

結び
 ★サタンとこの世が私たちを聖書以外のものに注意と興味を引き付けようと構えている時代に、聖書をとことん読み込む習慣を身に着けることは、困難を極めますが、日常の習慣として一旦身につければ、難なくできるようになります。
 ★特に、現役を引退して、暇を持て余している高齢クリスチャンには、世間並みの趣味に現(うつつ)を抜かすよりは、聖書通読とお祈りとを強くお勧めします。

聖書
 「イエスは言われた、・・・『あなた方に言っておくが、神は速やかに裁いてくださるであろう。しかし、人の子が来る時、地上に(その)信仰が見られるであろうか』」。ルカ18:8



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キリスト紀元2013年 8月 2日公開


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