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     メッセージ

〈45〉聖書の神の三位一体の教理の重要性

    イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって(入れて/原語ギリシャ語はエイス英語のintoと同意語)、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイによる福音書28章18〜20節

★名前はイエス教会でも三位一体を公に否定する教会に所属している方から、「牧師からの霊的呪縛を受け、『この教会を辞めると不幸になる』と言われているので辞めたくてもやめられない」という電話相談を受けたので、「あなたは三位一体の教理を聖書によって信じていますか」と問うと、「確信を持てません」ということでした。

 ★そこで神の三位一体性が分からないため、つまづいたり、迷ったり、上記のようなカルト教会に縛られている人々の霊的覚醒のためにこの小文を書きました。

★三位一体の教理はキリスト教に関するQAのQ3に書きましたように、三位一体という言葉は聖書の中にはありませんが、三位一体の実体がその中にあるのです。

★キリスト教会は使徒時代からこの教理を信仰していましたが、この用語(三位一体)をはじめて用いたのがカルタゴの神学者テルトリアヌス(AD160−230)でした。そして、彼より約100年後のAD325年頃になってはじめて教会はニケア会議で信条というかたちでこの教理を公に告白しました。それが、アタナシウス信条です。

  三位一体の意味

★聖書の三位一体の教理は三つの真理を宣言します。

1.神の存在は一つであること。

2.神には3つの人格(神格、位格)があること。

3.その3人格(位格、神格)は等しく神であること。

以上の3つの真実を、どの一つも欠かすことのできない真理として三位一体の教理は主張します。

★第一の真実が欠けると、聖書の神は唯一の神でなくなり、三神論の多神教の一つになりさがります。

★第二の真実が欠けると、聖書の神は様態論的神、サベリウス主義の神となります。すなわち、神は歴史の中で時代によって様態(姿)を変えて出現しているというのです。旧約時代は父として、福音書の中では御子キリストとして、使徒時代以降は聖霊としてその姿を変えて現れていると主張します。つまり、一人格が三つの役割をもった一人三役の神だと主張します。この教説は異端として初代教会によって却下されました。

★第三の真理が欠けると、神の従属説という新たな異端が生まれます。アリウスがこの説を唱え、キリストは存在しない時があり、父なる神により無から創造されたと説きます。この従属説においては聖霊は神ではなく神の単なる力に過ぎないとされます。

★この三位一体の教理について、教父アウグスチヌスは「これを信じない者は、救いを失い、これを頭で理解しようとする者は、頭の正気を失う」と言っています。

★「永遠の命とは父なる神と御子イエスを知ること」(ヨハネ17:3)とあるから神を知ろうとして三位一体の教理を頭で理解しようとすることは精神的破滅への道です。

★上記ヨハネの「知る」ということは、知的了解のことでなく、聖書のキーワード集〈5〉に書いたように「アダムがエバを知った」の「知る」と同じ、精神と肉体、知性・感情・意志の全人格的体得のことを意味しています。

★ですから、神の三位一体の教理は救い主イエス・キリストを信じる信仰による新生(ヨハネ3:3)という体験の中で全人格的に体得することなのです。

★三位一体の神の教理が重要である理由は救い主イエス・キリストのご生涯の教えと行動によって啓示された福音そのものが、この三位一体の教理を土台にしているので、この教理を拒否するならキリストの救いを失うことになるからです。

聖書が教える三位一体の神

1.神が一体(一つ)であること
「イスラエルよ聞け。我々の神、主は唯一の主である」申命記6:4
「互いの栄誉を受けながら、ただ一人の神から誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか」ヨハネ5:44

2.神には3つの人格があること。
マタイ28:18〜20(上記)
父は御子に語りかけられた(マルコ1:1:11)。

御子は御父に語りかけられた(11:25,26)。

聖霊は信徒の心の中で祈ってくださる(ロマ8:26)。

3.その3人格は等しく神であること。

御父は神である(ヨハネ3:16)。

御子イエス・キリストは神であること(ヨハネ1:1−3、14)。

 ★主イエスはご自身を神と認めないユダヤ人に向かって、「あなた方の父はサタンである」と言っておられます(ヨハネ8:41−45)。主イエスを神と信じないユダヤ教徒やイスラム教徒やキリスト教系異端のカルト教会の信徒たちが唯一神と信じる神は聖書の神ではなく、主イエスの言われる通り「サタン」なのです。

聖霊は神であること。聖霊をあざむくことを神をあざむくこととみなすことで聖霊を神と等しいとしている(使徒5:3,4)。
 証拠となる聖句は他にも多数あります。

 神の三人格(神格、位格)の関係

★父、御子、聖霊の三位格が天地創造の御業にかかわっておられる。三神格は永遠に神であられる。

 ★御子は父から永遠の中で生まれたが、御子が存在しなかった時はなく、御子は父の被造物ではありません。御子は御父からこの世に救い主として遣わされました。御子は父なる神と同質の一人子なる神ですが(ヨハネ3:16)、私たちキリスト者は信仰によって養子縁組による神の子らです(ガラテヤ3:26)。

 ★聖霊は御父と御子から出る(遣わされる)という関係にあります。

 しかし、この三位格の神性に優劣はありません。

 ★バプテスマによって父・御子・御霊の三位一体のみ名に入れられることによって、はじめて私たちは神を「アバ、父よ」と呼べる神の子供となるのです。

それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ※」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。」ガラテヤ4:3−7

※「アバ、父よ」アバ/アラム語の幼児語で「お父ちゃん、パパ」の意。「父よ」ギリシャ語で「お父さん」/キリスト信仰によって大人も子供も、ユダヤ人も異邦人も一緒に神の子供となって神を「パパ、お父さん」と呼ぶ者たちとなることを表しています。



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キリスト紀元2015年 9月 11日公開


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