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主イエスのたとえ話

  34〉二人の子のたとえ

 聖書

 28「あなた方はどう思うか。ある人に二人の子があったが、兄のところへ行って言った、『子よ、今日ぶどう園へ行って働いてくれ』。29すると彼は『お父さん、参ります』と答えたが、行かなかった。30また弟のところに来て同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、後から心を変えて、出かけた。

 31このふたりの中、どちらが父の望みどうりにしたのか」。彼らは言った、「後の者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなた方より先に神の国にはいる。32というのは、ヨハネがあなた方のところに来て、義の道を説いたのに、あなた方は彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなた方はそれを見たのに、後になっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった」。

マタイによる福音書21:28〜32

はじめに-このたとえの日本語訳について

日本語訳聖書と原典ギリシャ語(並びに全ての英語訳聖書)との違いについて

★日本語訳聖書は文語訳、口語訳、新改訳が歩調を合わせて原語の29節と30節とを入れ替えて訳しています。ただ一つ共同訳だけが兄、弟と訳出している点は別として正しく訳しています(だからと言って、共同訳が最良の訳かどうかは、その全体を詳しく調べてないので何とも言えません)。28−30節を原語のまま訳すとこうなります。

28「あなた方はどう思うか。ある人に二人の子がいた。最初の子のところに行って言った。『子よ。今日、行って私のぶどう園で働いてくれ』。29彼は答えて言った、『行きません』。しかし、後で悔い改めて行った。30それから彼(父)は二番目の子のところに行って同じことを言った。その子は答えて言った。『行きます。お父さん(原語「主よ」)』。しかし、その子は行かなかった。31このふたりの中、どちらが父の望みどうりにしたのか」彼らは言った、「先の者です」。

 ★この原語通りの順序の方が、32節の「ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなた方はそれを見たのに、後になっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった」という記述に合致します。
 ★日本語訳は放蕩息子のたとえにこだわって、この二人の子のたとえを兄と弟のふたりの息子のたとえと決めつけ、先の子を兄、後の子を弟として二人の返事を原語のものと入れ替えています。英語訳はみな原語に忠実に正しい順序で訳しています。
 ★日本語のこの翻訳の違いは、日本語聖書の訳者がユダヤ人と異邦人の違いにこだわっていることを暗示し、父なる神と主イエスはユダヤ人も異邦人も同じように我が子としてご覧になっておられると共に、両者共に主のみ元に立ち返ることを望んでおられることを暗示しています。

このたとえの要約

 ★ある人に二人の子がいて、一人に「ぶどう園で働いてくれ」というと、彼は「いやです」と答えたが、後で心を変えて出かけた。次にもう一人の子にも同様に言うと、「はい、行きます」と言いながら、行かなかった
 
★取税人、遊女、異邦人はバプテスマのヨハネの説教を聞いて、罪を自覚して悔い改めて、神の国にはいった。それを見ながら、ユダヤ人、祭司長、パリサイ人、律法学者たちの多くは、罪を悔い改めて神の御国にはいることはなかった。

解説

★ある人
 父なる神様を表しています。人類の始祖アダムが罪を犯したため、すべての人類は神の御前に罪人であって、永遠の滅びに定められています。悔い改めて、御子イエス・キリストの十字架の贖いの御業を信じて、新しく生まれ、神の国の国民となって、神の国(ぶどう園)で働く者となることを、神はすべての人々に求めておられます。

★ぶどう園

 地上の神の国、具体的に言うとキリスト教会のことを表しています。神は地上の神の国で今すぐ働く者を求めておられます。 

★はじめの子

 取税人、遊女、異邦人、偶像礼拝者、罪人たち全体、すなわち、神の選民ユダヤ人以外のすべての人類の中の罪を悔い改めて救われる人々を表します。

★あとの子

 律法学者、祭司長、パリサイ人など主にユダヤ人の指導者たちを表しています。聖書(旧約聖書)を学び、神の御心を熟知している積りでしたが、神の義でなく、自分の義(行いによる義)に固執していたため、救い主キリストを十字架にかける罪を犯し、キリストとキリストを信じる取税人、遊女、異邦人をさげすんでいました。

教訓

 ユダヤ人、異邦人の区別なくすべての人々は、神の被造物として、神の子供として神の御心を実践する責任があります。

 ★このたとえ話は「二人の息子のたとえ」と呼ばれますが、このふたりは、原語ギリシャ語では子供となっていて、息子たちではありません。放蕩息子のたとえ(ルカ15:11〜32)では二人の息子は兄と弟とはっきり明記されていますが、このたとえ話では兄と弟の区別がないばかりか、息子、娘の区別もないただの「子供」です。

 ★このたとえ話は神の御目の前には、人類は二種類の人々に大きく分類されることを示しています。第一の種類の人々は神の御心よりも自分の欲するがままの人生を歩む人々です。第二の種類の人々は、神の御心に従って、悔い改めて主を信じて、主なる神のために働く人々です。神はすべての人々を「ぶどう園(神の国)」での働きに招いておられます。

 、父なる神の求める応答は、言葉だけでなく、言葉と行いであること

 ★後の子は先の子より丁寧な返事をしています。後の子の返事は直訳すると、「はい、私はここにいます(私は行く用意が出来ています)。主よ(父上)」です。

 ★先の子はぶっきら棒に「いいえ、行きません」と言っていますが、悔い改めて、ぶどう園に出かけ働きました。

 、最後まで耐え忍ぶ者が救われる

 キリスト者の中にも、立派な信仰告白をし、ある程度良い実を結びながら、最後まで耐え忍ぶことなく、教会を離れ、信仰者、教会人として見るとき、怠惰なただの俗人に成り下がってしまった人々がいます。

結び

 ★聖書信仰に立つ聖書翻訳者が、たとえ聖書のほんの一部分であろうと勝手に書き変えることは、主のみ前では許されないことです。

アメリカの福音派教会ではイスラエルを重視するディスペンセイショナリストの教理的立場が優勢なようですが、聖書はこのたとえ話が示すように神の御前ではイスラエル人も他の国の人も同じであることを示しています。

 ★最近の世の中は高齢者でも元気でありさえすれば、働き続けることが要求される時代となりました。聖書は、高齢者を含めて全ての人に、キリストを信じて神の御国のために何らかの貢献をしてくれるように求めています(ルカ2:36,37)

URL http://31church.net

キリスト紀元2012年 12月 28日公開

キリスト紀元2018年  5月 25日更新



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