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   主イエスのたとえ話

〈35〉上席に着きたがる招待客

 聖書
 「客に招かれた者たちが上席を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つのたとえを語られた。『婚宴に招かれた時には、上席に着くな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかもしれない。その場合、あなたとその人とを招いた人が来て、「この方に席を譲ってください」と言うであろう。その時、恥じ入って末席に着くことになるであろう。むしろ、招かれた場合には、末席に行って座りなさい。そうすれば、招いてくれた人が来て、「友よ、上座の方へお進みください」と言うであろう。その時、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。』

 また、イエスは自分を招いた人に言われた、『午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持ちの隣人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招き返し、それであなたは返礼を受けることになるから。むしろ、宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くかよい。そうすれば、彼らは返礼が出来ないから、あなたは幸いになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう。」

ルカによる福音書14:7〜14


はじめに
 ★このたとえ話は7〜11節で、12〜14節はご自分を招待した宴席の招待主に対する説教となっています。しかし、内容的に関連があるので、引用しました。
 ★主イエスがこのたとえを話された状況を見てみますと、あるパリサイ人の指導者に食事に招かれた時(14:1)、その招待客の様子をご覧になっての話のようです。
 ★この招待主は注解書によると、パリサイ人のリーダーであると共にユダヤの国会議員であったようです。

このたとえ話の意味
 直接的意味

 ★誰かに宴席に招待された時には末席に着きなさい。人前で上席から末席に下されるよりは、いいからということになります。
 
神の御国という視点から見た意味
 ★人からの名誉より神から来る名誉を求めよ。ということです(ヨハネ5:44)。
 ★この世では、人はみな他人から認められ、褒められ、高く評価されることを切望します。その心の性質からねたみや争いや煩悩(ぼんのう)が生まれます。世の人々は、人からの名誉は求めても、神からの名誉は求めません。
 ★主イエスは弟子たちに偉くなりたいと思うなら人に仕える者(奴隷)になりなさいと言われました。
 この世の国と神の御国
 ★「この世は悪い者(単数形ーサタン)が支配している」(Tヨハネ5:19)ので、まことの神と神のことばを無視して、自分の欲望の実現を求めています。
 ★それで、欲望を実現させてくれる政治家を求めても、心を低くして、人間の根本問題である罪からの救い主を求める人は日本には人口の1%もいません。
 ★これに対して、神の御国は、十字架と復活のキリストの御国です。主イエスは、しもべの姿をして弟子たちの足を洗い、私たちの罪の汚れを洗い落とすために、十字架上の死を遂げられ、三日目に、死なない栄光の身体によみがえられたお方です。
 ★主は、信じて従う私たちに同じ生き方を求めておられます。


 「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、『あなたがたの知っている通り、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力を振るっている、しかし、あなた方の間では、そうであってはならない。かえって、あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなた方の間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためである』」
 マルコによる福音書10:42〜45

キリスト再臨の日に約束されている報い
 ★この世での報いに期待せず、御言葉に従って、信仰によって神と人への善かつ義なる行いを続けて行くなら、再臨の日に「善かつ忠なる僕として」相応しい報いを約束されているのですから、主にあって自分を低くして、御言葉を実践して行きましょう。
 ★返礼を期待できない場合にも、よいサマリヤ人のように気軽に隣人愛を実践できるように、日々心がけて行きたいものです。

信仰者の手本としてのモーセとイエス・キリスト
 「信仰によって、モーセは成人した時、パロの娘の子といわれることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストの故に受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。」
へブル11:24〜26

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は自分の前に置かれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の右に座するに至ったのである」。
へブル12:2


結び
 ★全世界をキリストが裁く日が定まっており、その確証がキリストの復活である(使徒17:30,31)と聖書が言っているので、私たちはその日に天に凱旋できるように、使徒パウロと共に、自分の身体を鞭打って従わせ、失格者とならないように心掛けたいと思います(Tコリント9:24〜27)。



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キリスト紀元2013年 2月 17日公開

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