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      主イエスのたとえ話

  
〈8〉賢い人と愚かな人

 ★聖書

 
「私に向かって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に入るのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨(みむね)を行なう者だけが、入るのである。その日には、多くの者が、私に向かって『主よ、主よ、私達はあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力ある業を行なったではありませんか』と言うであろう。その時、私は彼らにはっきり、こう言おう、『あなた方を全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
 それで、私のこれらの言葉を聞いて行なう者を、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。また、私のこれらの言葉を聞いても行なわない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。マタイ7:21〜27

 はじめに
 ★このたとえ話の前回の解説を書いたのは今から9年前です。これを読み直してみて、このたとえ話の解説としては不十分であり、不出来であると判断いたしましたので、新たに書き直しました。
 ★「賢い人と愚かな人のたとえ」は山上の説教の結びとして語られました。主イエスの山上の説教はキリストの神学校の公開講座のようです。主はご自分の目の前に座っている弟子たちに向かって語りかけておられますが、同時に弟子たちを囲むように群がり集まって来ていた大群衆にも、彼らにわかる言葉で語りかけておられます。
 ★この説教に耳を傾けていた群衆は、主イエスの権威と威厳に満ちた話にびっくり仰天しました。学者は「昔の賢者がああ言っている、こう言っている」といって、自分の説に重みをもたせようとしますが、主イエスは、「昔の人々はあなた方にこう教えて来たが、しかし私はあなた方に言う」と大胆に権威ある教えの数々を語られました。

 
賢い人と愚かな人
 ★賢い人は主のお言葉を聞いて行う人で、愚かな人は聞くだけで行わない人です。
 ★ところで、「主のお言葉を聞いて行う」とはどういうことでしょうか。使徒パウロは、

「私のうちに、すなわち、私の肉のうちには善なるものが宿っていないことを私は知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。・・・私は、何というみじめな人間なのだろう」(ローマ7:18〜25)。

 と本来の自分自身の中には神の御心を実践する力がないことを認め、告白しています。
 ★しかし、パウロはこの言葉の直後に、「私たちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな」と言って、イエス・キリストの罪の贖いの御業を感謝し、賛美しています。
 ★使徒パウロが告白しているように、私たちキリスト者は、山上の説教に示された崇高な神の御心を実行しようとしても実行できない愚かな弱い者なのです。しかし、私たちキリスト者は、七回転んでも八回起き上がって、主のみ助けを仰いで、不完全ながらも主のみ心を行おうとするのです。狭い門を通り細い道を進む天路歴程の道はこのように安易な道ではないのです。
 ★キリスト者の道は、使徒ペテロのように、「主を知らないなどとは絶対言わない」と誓いながら、三度も「私は主を知らない」といい、後で悔い改めの涙を流す、七転び八起きの人生なのです(マタイ26:31〜35、69〜75)。
 ★それでも、主は「聞いても行わない」人生より、「聞いて転びながらも、聖潔を求めて、天を目指して、悔い改めつつ行い続ける」人生を多とし、是認し、高く評価してくださるのです。

 
賢い人の人生の土台
 ★賢い人の人生という家造りの土台は、イエス・キリストです。

「なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、誰にもできない。そして、この土台はイエス・キリストである」(Tコリント3:11)。

 ★聖書に描かれたままの救い主イエス・キリスト、すなわち、罪を他にして私たちと等しい人間となられたイエス・キリストが私たちの罪を清めるために十字架上に死んで、三日目に死なない天の体によみがえってくださったことを信じる信仰だけが、世の終わりの日の裁きの火をパスさせて頂ける唯一の条件なのです。

「御子イエスを信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上に留まる」。ヨハネ3:36




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キリスト紀元2013年 11月 22日公開

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