聖書に関するQ&A


 Q.23 終末のキリストの再臨に伴う携挙とは何か?またキリストの千年王国とは何か?

 Q.22 ヨハネ3:13のみことば「人の子のほかに天に上った者はいない」はエノクやエリヤについての記述とどう調和するのか?


 A.エノクもエリヤも死を経ずに天に移された、と旧約聖書が語っていることと、ヨハネ3:13の主イエスの「人の子(キリスト)のほかに天に上った者はいない」というみ言葉とは、どう調和できるのかを考えて見ましょう。

ヨハネ3:13と2つの聖句の比較
 ★まず、ヨハネ3:13はこうなっています。

 
「天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、誰も天に上った者はない」 (聖書協会口語訳)
 「誰も天に上った者はいません。しかし、天から下った者はいます。すなわち(欄外の注/天にいる)人の子です」
 (新改訳)

 ★エノクと預言者エリヤについての聖書の記述は次のようになっています。

 「信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれる者と、証されていたからである」。 
ヘブル11:5

 「彼ら(エリヤとその弟子のエリシャ)が進みながら語っていた時、火の車と火の馬が現れて、二人をへだてた。そしてエリヤはつむじ風(新改訳/たつまき)に乗って天に上った」 U列王2:11

 
★上記のみことばの比較によって明らかなように、ヨハネ3:13は「自力で天に上る」ことを言っており、エノク、エリヤは、二人とも受動的に他者の力によって天に移されています。

申命記30:11,12 「誰が我々のために天に上るのか」
 ★ヨハネ3:13で、主イエスが「天に上る」と言っておられる時、主は申命記30:11,12のみことばを念頭に置いておられます。

 「私が、今日、あなたに命じるこの戒めは、難しいものではなく、また遠いものではない。これは天にあるのではないから、『誰が我々のために天に上り、それを我々のところへ持ってきて、我々に聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない」 (申命記30:11,12)

 ★ヨハネ3:13で主イエスが言おうとしておられる事は、「自力で天に上って、神の御ことばを直接聞いて、天から下って来た者は、人の子(キリスト)のほかにいない」ということです。

天にいる「人の子
 ★主イエスはご自分を「人の子」と呼んでおられますが、この「人の子」はダニエル書7:13に出てくる名称で、約束のメシヤ・キリストを表します。

 
「私はまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。彼に主権と栄光と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない」。 (ダニエル7:13,14)

 ★主イエス・キリストは人の子「第二のアダム」
(ローマ5:14、18,19)としてすべての人々の罪を引き受け、身代わりの十字架の死を遂げるために、真の人間でなければなりませんでした。同時に、死の力を打ち破り、死から三日目に復活するために神でなければなりません。
 ★主イエスはご自分の予告通り
(ヨハネ10:18;マタイ20:18,19)、死後三日目に死なない栄光の身体に復活されることによって、ご自分が神であられることを証明されました。
 ★ヨハネ3:13の権威ある英語訳聖書キング・ジェームス・ヴァージョンでは、新改訳の欄外の注にあるように「天にいる人の子」となっています。主イエスは律法の教師で後に弟子入りしたニコデモの前で語っておられる時に、地上におられると同時に天におられる御方でした。
 ★ヨハネ福音書は主イエスがとなられたであられることに焦点を合わせて語っています。エノクやエリヤが神の御手やみ使いによって天に移されたのに対して、「人の子」としての主イエスは処女マリヤの胎内に宿った時点からすでに「天におられる」御方なのです。
 ★主イエスだけが、父なる神のふところからこの世に遣わされたただ独り子なる神なのです。

 「神を見た者はまだ一人もいない。ただ、父のふところにいる独り子なる神だけが、神を表したのである」。 
(ヨハネ1:18

 ★この主イエスにあって、その信仰によって私たちキリスト者も、現在この地上にいながらにして、すでに「天に座しており」
(エペソ2:6)「天に国籍をもっている」(ピリピ3:20)のです。

キリスト者の死後の状態とキリスト再臨の日のキリスト者の変貌
 ★私たちキリスト者は、死後永遠の眠りに就くのではなく、死後ただちに天におられるキリストの下に行き、平安と至福の喜びのうちに入れられます。

 
「私は、これらの二つのものの間に板ばさみになっている。私の願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい」 (ピリピ1:23)
 「あなた(主)はいのちの道を私に示される。あなたの前には満ち溢れる喜びがあり、あなたの右には、とこしえに諸々の楽しみがある」。 
詩篇16:11

 ★そして、世の終わりのキリストの再臨の時、私たちはキリストの復活の身体と同じ、不死の栄光の身体に復活します。そして、再臨の日に地上に生きているキリスト者は、一瞬のうちに変えられるのです。

 
「キリストは、万物をご自身に従わせる事のできる御力によって、私達の卑しい身体を、ご自分の栄光の身体と同じ姿に変えてくださるのです」(ピリピ3:21)
 「聞きなさい。私はあなた方に奥義を告げましょう。私たちはみな眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパと共に、たちまち一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちない者によみがえり、私たちは変えられるのです」。
(Tコリント15:51,52)


キリスト紀元2007年 1月 20日公開


 Q.22 終末のキリストの再臨に伴う携挙とは何か?またキリストの千年王国とは何か?

A.
T.携挙について

 ★まず、携挙とは下記の聖句から生まれた言葉で、「キリスト再臨の時、地上に生存していたキリスト者と墓からよみがえったキリスト者とが、復活のキリストと同じ栄光の身体に変貌して天に引き上げられ、そこで主に出会うことを意味します。

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下って来られる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っている私達が、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(Tテサロニケ4:16,17)。

「ここで、あなた方に奥義を告げよう。私達すべては、眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きと共に、瞬く間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、私達は変えられるのである」(Tコリント15:51,52)。


 ★ある人々
(ディスペンセーショナリストと言われる)はキリストの再臨を2段回の出来事とし、最初がひそかな来臨で次が誰の目にも明らかな公然たる来臨であり、その期間が7年であるとします。そして、ひそかなお忍びの来臨の根拠を次の聖句に求めます。

「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなた方自身がよく承知しているからです」(Tテサロニケ5:2)。

 ★しかし、この聖句は「夜や暗闇の者(非キリスト者)」に当てはまることばであって、キリスト者には当てはまらないことばです。上記の聖句に続く言葉がそれを明確に語っています。

「しかし、兄弟達。あなたがたは暗闇の中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなた方を襲うことはありません」(Tテサロニケ5:4)。

 ★私達キリスト者はキリストの再臨を待望しますが、非キリスト者は再臨の話を聞くと恐れます。彼らには夜中に盗人に入られる以上の災難をもたらす話だからです。
 ★主イエスの再臨は「お忍び」と「公然」の二段構えの現われではなく、次の聖句が示すように世界中の誰の目にも疑う余地のない明白な出来事として実現します。

「ちょうど、稲妻が東から西にひらめき渡るように、人の子(キリスト)も現れるであろう」(マタイ24:27)。

 ★上記ディスペンセーショナリストの中の「大艱難前再臨説」は聖書的キリスト者にとって有害です。なぜなら、大艱難前のキリスト者を油断させ、艱難・迫害に対して心を無防備にさせる誘引となり、つまづきに至らせることになるからです。


U.キリストの千年王国について

 ★「キリストの千年王国」とは主として下記の聖句から生まれた言葉です。

「また私が見ていると、一人のみ使いが、底知れぬ所の鍵と大きな鎖とを手に持って、天から降りて来た。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経た蛇を捕らえて千年の間つなぎ置き、そして、底知れぬ所に投げ込み、入り口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ開放されることになっていた」(黙示録20:1〜3)。

 ★キリストの再臨をこの千年王国の後とするか前とするか、あるいは、千年王国を主の降臨から再臨までの教会時代の比喩的表現ととるかによって、千年王国再臨説・千年王国再臨説・千年王国説に分けられます。
 ★筆者は無千年王国説の立場が穏当と考えます。この無千年王国説を取る主な教会指導者には教父アウグスチヌスがいます。
 ★無千年王国説では、千年は文字通りの千年ではなく、悠久の永い年月の象徴と理解し、キリストの十字架の死によってサタンは縛られ
(ヘブル2:14,15)、世の終わりの大迫害の時代にしばらく開放されます。
 ★千年王国論には種々雑多な説があり、教会の歴史に残る主要な信条・信仰告白には千年王国は告白されていません。
 ★特に問題があるのは千年王国再臨説です。この説によると、再臨後、栄光の主がご自身と同じ栄光の身体に変貌したキリスト者達を引き連れて、この世界に来られ、地上の生来の肉体を持った非キリスト者(未信者)と千年もの永い間一緒に住むと言うのです。天国の身体に変貌したキリスト者にも、生来の肉体を持つ未信者にも、想像するだけで分かることですが、まことに不都合な生活環境となります。
 ★栄光の主に出会った時、使徒ヨハネでさえ、「私は彼を見た時、その足元に倒れて死人のようになった」
(黙示録1:17)というのですから、一般の未信者が栄光の主に出会ったらショック死すること間違いなしです。
 ★主イエスは十字架にかかる前、ローマ総督のピラトにこう言っておられます。

「私の国はこの世のものではない。もし私の国がこの世のものであれば、私に従っている者たちは、私をユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし、事実、私の国はこの世のものではない」(ヨハネ18:36)。

 ★この主を信じ、主に従う私達キリスト者も、この世にいながらもこの世の者ではなく、この世にあっては「旅人であり、寄留者です」
(ヘブル11:13)。聖書は「この世はキリスト者の住むところではない」(ヘブル11:38)とまで言っています。

 ★この千年王国再臨説の中でも、特異な立場に立つのがディスペンセーショナリスト(dispensationalist)と言われる人々です。そして、この立場に立つ人々が現代の米英の福音派キリスト教界で勢力をもっています。
 ★この
ディスペンセーショナリストの考えでは、聖書の神の救いの対象の第一位はユダヤ人であって、我々異邦人はあくまでも脇役でしかないと言うことになります。すなわち、神はユダヤ人の救いの事業の合間に副業的に異邦人を救ってやったと言うことになります。ユダヤ人が一時的にそむいている間に、神は本道からわき道にそれて異邦人救済事業と言う道草をなさったと言う訳です。この思想の創始者は英国プリマス・ブラザレン・グループのダービー(John Nelson Darby1800-1882)いう人物で、アメリカでは主にスコフィールド引照付き聖書によって流布されました。
 ★彼らの考えではユダヤ人は救われる人々の中の主役であり、選民中の選民です。ですから、再臨後の異常な地上の千年王国も実はユダヤ人の悔い改めと救いと栄光のために特別に用意された期間なのです。ユダヤ人のために特設された千年王国に私達異邦人キリスト者も付き合わされるというのは私達キリスト者にとってははなはだ迷惑な話です。
 ★もちろん、こんな思想も教理も聖書のどこを探しても見つけることはできません。聖書はキリストの十字架がユダヤ人と異邦人との隔ての中垣、人種的壁を取り除いたとはっきり宣言しています。

「だから、記憶しておきなさい。あなた方は以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろな契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
 ところが、あなた方は、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となったのである。
 キリストは私達の平和であって、二つの者を一つにし、敵意と言う隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。
 それは、彼にあって、二つの者を一人の新しい人に造り替えて平和を来たらせ、十字架によって、二つの者を一つの身体として神と和解させ、敵意を十字架に掛けて滅ぼしてしまったのである。
 それから、彼は、来られた上で、遠く離れているあなた方に平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。と言うのは、彼によって、私達両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことが出来るからである。
 そこであなた方は、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒達と同じ国籍の者であり、神の家族なのである」(エペソ2:11〜19)。


 ★聖書の描くキリストの再臨は、文字通りこの世界の終わる時であり、キリストにある死者の復活、地上のキリスト者の携挙、キリストの再臨、全世界の人々に対する裁き、そして今の世界の滅びと新天新地の再創造と続きます。これらの終末における一連の出来事は連鎖的に起こるのであって、再臨から最後の審判までの間に千年期などと言う気の遠くなる年月があるとは、聖書のどこにも記されていません。次の聖句は再臨と最後の審判の連続性を暗示しています。

「人の子が栄光の中にすべての御使い達を従えて来る時、彼はその栄光の座につくであろう。そしてすべての国民をその前に集めて、羊飼いが羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、ヤギを左に置くであろう。その時、王は右にいる人々に言うであろう。『私の父に祝福された人たちよ。さあ、世の初めからあなた方のために用意されている御国を受け継ぎなさい。・・・それから、左にいる人々にも言うである、『のろわれた者共よ、私を離れて、悪魔とその使いとのために用意されている永遠の火に入ってしまえ』。・・・そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」(マタイ25:31〜46)。

 ★使徒パウロは次のように今の時代を予告し、警告しています。

「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりの良い話をしてもらおうとして、自分勝手な好みに任せて教師達を寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれて行く時が来るであろう」(Uテモテ4:3,4)。

 ★終わりの時代に生きる
(ヘブル1:2)私達は、注意深い聖書の学びによって偽りの教えに惑わされないようにすることが肝心です。


参考文献
The Millennium : Loraine Boettner 1964 The Presbyterian and Reformed Publishing Company, USA
Systematic Theology : L.Berkhof 1963 The Banner of Truth Trust, USA



キリスト紀元2007年 1月 30日公開


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