聖書に関するQ&A


 Q.33 キリスト者が死後に行く天国とキリスト再臨後に実現する新天新地はどういうところ?

 A
キリスト者が死後行く天国について

 ★聖書が明らかにしている範囲内で、天国と新天新地について、描写します。天国はキリストを救い主と信じてその罪を赦された人々だけが行くところであって、信じていない人々は行くことが出来ません。
 ★その天国は眠りの世界ではありません。聖書が死者を「眠っている」と表現している個所がいくつかありますが(ヨハネ11:11〜14)、それは、死者が眠っているように見えるところからくる比喩的・婉曲的表現であって、当然のことながら、死は睡眠状態と同じではありません。
 ★死後のキリスト者の霊魂は、肉体という家を離れて神のもとに行き、キリストと共に生きている状態となり、キリスト者にとってはこの世で生きているよりもはるかに願わしく、幸せを味わえる時間となります。

 
「私達の住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、私たちは知っている。そして、天から賜るそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。それを着たなら、裸のままでいないことになろう。
 この幕屋の中にいる私たちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。私たちを、このことにかなう者にしてくださったのは、神である。そして、神はその保証として御霊を私たちに賜ったのである。だから、私たちはいつもこころ強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。
 私たちは見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。それで、私たちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。
 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。なぜなら、私たちは皆、キリストの裁きの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。」
Uコリント5:1〜10


キリスト者がキリスト再臨後に入国を約束されている新天新地について
 
★キリスト再臨の日、今の世界は大音響と共に火で焼かれて、消滅し(Uペテロ3:10)、天国が目に見える状態で出現します(黙示録21:1,2)。それが新天新地です。その時、生きている人々も、死んだ人々も、否応なく、共にキリストのもとに呼び出されます(ヨハネ5:28,29)。キリスト信者は復活のキリストと同じ、永遠に死ぬことのない、栄光のからだによみがえります(Tコリント15:52,53)。キリスト信仰を拒否した人々は醜い恥のからだによみがえり(ダニエル12:2)、共にキリストの裁きを待ちます。キリストを信じて来た人々は裁かれることなく、新天新地の住人として永遠に生きることを許されます(ヨハネ5:24)。非キリスト者は本来サタンのために用意された地獄(マタイ25:41)に送り込まれます。地獄については次回に書きます。
 ★新天新地には病気も死もなく、従って悲しむ者も泣き叫ぶ者もいません(黙示録21:1〜4)。当然、地震・津波・放射能事故も戦争も交通事故もありません。世を去る時、病人や身障者だったキリスト者たちは元気一杯の五体満足な健常者となります。そこには、泥棒も詐欺師も放火魔も殺人犯もいません。と言うことは、警察も消防署も軍隊も不要となります。
 ★そこには夜がありません。なぜなら、神の栄光とキリストが新天新地の太陽だからです(黙示21:23;22:5)。夜がないのは、そこに住む人々は疲れることがなく、睡眠によって疲れを癒す必要がないからです。新天新地で各自に与えられる仕事が楽しくて嬉しくて仕方がないという状態のために、そこの住民は疲れを知らないのです。
 ★新天新地は、神とキリストが愛と正義で治める国家であり、神の都です。そこには秩序があり、治める人々と治められる人々がいます。使徒パウロのように地上で神の僕として忠実に生きてきた人々は、キリストと共に治める人々となります(黙示2:26)。
 ★アブラハムの甥のロトのように、火の中をくぐるように、やっとこさっとこ救われた人々や、キリストと共に十字架にかかり、初めは仲間のもう一人の罪人と一緒に主をののしっていたが、主が敵のために赦しを祈る姿に感動して、死ぬ間際に信じて救われた罪人のような人々は、救われて天国に行ってもパウロと共に支配者になることはなく、支配される側の天国の市民の一人となることでしょう。
 ★人間の世界に戦争がなくなるように、動物の世界にも弱肉強食の様相は消え去ります。聖書は、ライオンが小羊と共に仲良く草を食べ、人間の赤ん坊が成獣のクマと戯れる新天新地の光景を描いています(イザヤ11:6〜9)。
 ★動物の世界に弱肉強食の闘争が生じた原因は最初の人間アダムの罪にあります。人の罪のために地が主なる神に呪われた結果、弱肉強食などの醜い様相が生じたのです。創造の六日間で造られた時のエデンの園でもライオンもクマも牛や羊と仲良く草を食んでいたことでしょう。
 ★肉食獣の肉食獣としての鋭い牙や爪は、神の呪いによって突然変異した結果であって、造られた当初のライオンの歯は、日本の獅子舞の獅子の様に牛や馬の様な歯だったと思われます。内臓も草食動物のそれのようだったことでしょう。またエデンの園の牧草はライオンやクマたちをも満足させる豊富な栄養と味を備えたものだったことでしょう。
 ★ネット上で閲覧できる深海魚達の悪魔の落とし子の様な形相は、主が天地創造された直後の「主はご覧になって『善し』とされた」世界の一部とは到底思えません。虫や微生物の世界についても同じことが言えます。
 ★エデンの園で蛇はエバを誘惑して、禁断の木の実を食べさせた罪のため、呪われて地を這うものとなった(創世記3:14)、とあります。ということは、罪を犯す前の蛇は、今の形状ではなく、手足を持ち、女性の代表のエバを幻惑するに足る魅力を備えていたと考えられます。その形状から今の地を這う形状に変身させられたのは、主なる神の呪いのためでした。
 ★キリスト再臨後の新天新地は、主がご覧になって善しとされた堕落前の世界以上にすばらしい世界でありましょう。

聖書が語る、天国と新天新地が偽りのない真実である証拠
 ★それは、聖書の主人公であられるキリストの業と教えとが、数千年前から書かれている旧約聖書の中で予告され、その通りに新約聖書の中で成就していることが確認され、中でも、十字架の死からの三日目の不死のからだへの復活という事実です。

 「神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにいる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。神は、義をもってこの世界を裁くためその日を定め、お選びになった方によってそれを成し遂げようとされている。すなわち、この方を死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。使徒17:30,31


 ★「自分の死後の行く先や、世の終わりの話は、その時が来てみなければ、分からないことだから、私は先のことより、今を大切に生きたい」とか、「赤信号(地獄)みんなで渡れば(行けば)怖くない」と言ってキリストの福音を無視して生き続けるのも、また、ふと立ち止まってキリストの福音に耳を傾けて、永遠を思い、聖書と共に語る御霊の御声に耳をそばだてて救いの道を探るのも、どちらを選ぶかはあなたの自由です。あなたの上に主なる神の恵みを祈ります。


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キリスト紀元 2013年 4月 28日公開


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