聖書に関するQ&A


 Q.39 キリストは弟子たちに「先生と呼ばれてはならない」と言っておられます。牧師を先生と呼ぶことはキリストの教えに反しているのですか?

更新部分を補足として旧記事の後に付加しています。

 
A. 聖書の言葉は、聖書全体が神の言葉ですから、聖書全体から総合的に理解されなければなりません。
 問題のキリストの言葉はマタイ23:1〜12の中に見られます。


 1その時イエスは、群衆と弟子たちとに語っていわれた、2「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。3だから、彼らがあなた方に言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。4また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。5そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、6また、宴会の上座、会堂の上座を好み、7広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。8しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなた方の先生は、ただ一人であって、あなた方はみな兄弟なのだから。9また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただ一人、すなわち、天にいます父である。10また、あなた方は教師と呼ばれてはならない。あなた方の教師はただ一人、すなわち、キリストである。11そこで、あなた方のうちで一番偉い者は、仕える人でなければならない。12誰でも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。 マタイ23:1〜12

 
★兄弟団(ブラザレン派)と呼ばれるキリスト教会の教派があります。この教派の人々は、このキリストの言葉に従って、教会の教役者を「先生」と呼ばず「長老」と呼んでいます。そして、彼らの中には、他教派の「先生」と呼ばれている牧師に対して敵愾心(てきがいしん)さえ抱いている人々もいます。
 ★ですから、上記のキリストの言葉は適切に正しく理解されなければなりません。
 ★ここで、聖書の他の箇所に出て来る御言葉を取り上げましょう。

 一つはTコリント12:28 
 
「神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、、、」

 もう一つはエペソ4:11
 
「そして彼(キリスト)は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった」。

 ★聖書は全体で神の言葉であり、そこには調和があって、矛盾はありません。
 ★上記のエペソ4:11が言うように、キリストが教会に「先生」と呼ばれる牧師、教師をお立てになったのであり、
 ★マタイ23:8で主が言われることは、口だけで行いが伴わず、神からの名誉でなく、人からの名誉をむさぼるだけの、いわゆる「先生と呼ばれるバカ」になってはいけない、ということです。

 
★兄弟団に属する「キリスト集会所」という教派には、学ぶべき点がありますので、ここで紹介しておきます。
 ★福音派の一般の教会は、税制上の優遇を求めて宗教法人になりたがります。
 ★しかし、キリスト集会所は宗教改革の精神を大事にして、国家の干渉を排するため宗教法人に加入しないそうです。


 
★本題にもどって、マタイ23:8の主イエスのお言葉の真意は、牧師に対しては、パリサイ人、律法学者のように人に褒められることを喜ぶ、俗物になるなということであり、信徒に対しては、牧師を偶像視して、自分が描く牧師像とは違った現実の姿を見て、つまずいて教会を去ったり、信仰を失ったりするようなことのないように、真の教師であられる主イエスから目を離してはならないということです。


補足

★「先生」と訳されている言葉「ラビ」は、元々はへブル語で「わたしの偉大なるお方」という意味で、そのことばの意味からしてイエス・キリスト以外に当てはまるお方は存在しない呼称です。
 ★しかしながら、主イエスの時代のユダヤの宗教指導者たちは人々にその名称ラビで呼ばれ、彼らパリサイ人、律法学者たちはその呼称の意味を十分承知の上で、そう呼ばれることを喜び、またそう呼んでくれるように要求していました。

 ★主イエスはこのマタイ23:9では「あなた方は地上で誰かをあなた方の父と呼んではならない」と言っておられます。この言葉は子供が父親を「お父さん」と呼んではならないという意味ではなく、カトリック信徒が司祭を「神父」英語ではFather 父と呼んでいるように教会内の指導者を父と呼ぶなという教えであり、
 ★同様に9節の「あなた方は教師と呼ばれてはならない」という意味は、学校の先生たちが先生と呼ばれてはならない、という意味ではなく、「教会の牧師・伝道者が先生
(「わたしの偉大なるお方」という意味で)と呼ばれてはならない」という意味です。

 ★しかし、聖書のことばは上記のTコリント12:28 や エペソ4:11を含めた聖書全体から理解され、解釈されなければなりません。キリストが教会内に教師、牧師を立てられたのですから、教師、牧師を「先生」と呼んで構わないのですが、あくまでも大先生であられる主イエスの部下、配下としての小先生であることを牧師も信徒も忘れてはならない、ということです。

我が国のことわざに「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」というのがあります。日本の社会では、国会(県会・市会)議員、弁護士、医者、学校教師、教会の牧師を先生と呼びます。呼ばれる方は、いい気になってうぬぼれ、傲慢になりやすい状態に置かれます。そして、先生と呼ばれないと不機嫌になったりする愚かな先生たちがいます。こういう人々を世間は「先生と呼ばれる馬鹿」と呼ぶのです。

★アメリカには日本の「先生」に当たる呼称がなく、アメリカの学校の教師たちは生徒たちから、「Mr.だれそれ」と名前で呼ばれるそうです。韓国の教会では牧師たちは、「牧師さん」あるいは「牧師様」と呼ばれ、先生とは呼ばれないそうです。

今から50数年前、筆者が大学生の頃、用事があって慶応大学に行った時、掲示板に「だれそれ君(教授のこと)休講」と書いてあったのを見てびっくり仰天しました。今でも、同じかどうか知りませんが、恐らくキリストにならって、慶応大学は創設者の福澤諭吉だけを先生と崇め、その弟子の教授たちを君付けで呼んでいるのでしょう。

 ★しかし、キリスト教の世界だけでなく、学問の世界でも、イエス・キリストだけが大先生であり、キリストのみ前に福沢諭吉を含めた世界のすべての学者・教授は小先生に過ぎません。
 ★なぜなら、キリストは三位一体の第二位格の子なる神として天地万物を創造された方ですから(ヨハネ1:1−14)、世界の成り立ちのすべてをご存知であり、世の学者たちが学ぶ世界と宇宙の真理は創造の主である神の真理であって、ノーベル賞学者が発見する真理、原理は元来神が秘蔵しておられた真理・原理を見極め明るみに出したものに過ぎないからです。

 ★ですから、ノーベル賞授賞式で讃えられるべき対象は人ではなく天地創造の三位一体の神さまでなければなりません。


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キリスト紀元2017年 2月 12日更新


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