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    ローマ人への手紙講話

〈13〉きよめの道(2)奴隷と婚姻のたとえ

ローマ人への手紙6:15-7:6

6:15それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。 16あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。 17しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、 18罪から解放され、義の僕となった。 19わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。20あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者であった。 21その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは、今では恥とするようなものであった。それらのものの終極は、死である。 22しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。 23罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

 7:1それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。 2すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。 3であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。 4わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。 5というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。 6しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

講話

Ⅰ奴隷売買のたとえ

 ★前回は、人の生き方には2種類あって、広い門を通って歩きやすい広い道を歩んで行く人生、即ち神の御前では罪の奴隷の人生と、もう一つは、狭い門を通って狭い細い道を歩んで行く少数派の人生で、それは神と共に歩む人生であって神のしもべの人生で、人生はこの二つあるのみであることを学びました。

 ★人は誰でも二人の主人にかね仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛し、一方の命令に服従し、他方を無視する生活を送らなければなりません(マタイ6:24)。キリストにある救いを無視し、自由気ままに生きている人々は、サタンの手のひらでサタンの操り人形として生きているに過ぎません。

 ★サタンと罪の支配下で生きている人々には、この世の法律の下で比較的にまじめに生きている人々と、詐欺、窃盗、殺人を働く凶悪な犯罪者たちがいます。その比較的にまじめに生きている人々も、キリストを信じない人々は終わりの日に裁かれ、永遠の滅びに定められなければなりません。なぜなら、キリストが言われたからです。

 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」ヨハネ14:6;ヨハネ10:7-9

 ★ キリストを信じる私たちキリスト者も、元は罪の奴隷でしたが、救い主イエス・キリストを信じる信仰によって罪の奴隷から神の奴隷に移されました。キリストの義なる行いと十字架上の死によって、私たち信仰者を罪の奴隷から神は救い出してくださいました。

 ★奴隷は、死ぬことで奴隷の身分から解放されます。私たちキリスト者は、キリストと共に死ぬことによって罪の奴隷から解放され、神のしもべ、義のしもべとなりました。キリストにある神のしもべ、義のしもべは父なる神とキリストから来る聖霊に助けられ、導かれて神にならい、キリストにならって神の義を行なう者へと変えられます。

 ★従って、罪から解放され、恵みのもとにあるのだから、大いにはばからず罪を犯そうなどという生き方をすることはできません(6:15)。洗礼を受けたキリスト者が、サタンの支配するこの世で自由気ままに生きることは許されることではなく、また正当に実現できることではありません。

 ★非キリスト者の罪の奴隷としての報酬は、死であり、永遠の滅びです。聖書はキリストを信じない人々は、一度死んだ後、もう一度裁かれ2度死ぬことになると通告しています(黙示録21:8)。

 ★二度目は、キリスト再臨の後、全ての人々が死後の世界から呼び出されて、その人々の地上での行い、言葉、心の中の思いの全てが神の律法によって裁かれ、すべての非キリスト者は永遠の裁きに定められます。

 ★これに対して、すべてのキリスト者は裁かれることなく、彼ら自身の行いの報酬としてではなく、キリストの義が彼らのものとされ、神の恵み(プレゼント)として、永遠のいのち、新天新地での永遠至福の生活が提供されます(ヨハネ3:16)。

 ★罪の奴隷と義の奴隷は、奴隷であるからその生活、行いは強制され、無理矢理に罪を犯させられ、義なる生活を強いられているかのように思われますが、決してそうではありません。

 ★罪の奴隷は、強いられてでなく、当たり前の様に、気楽に罪を犯し続けています。例えば、まことの神を礼拝しない人々は気軽に偶像を礼拝しています。その偶像礼拝は真の神に対する最大の罪の一つです(出エジプト20:1-17;黙示21:8)。

 ★義のしもべ、神のしもべキリスト者も、キリスト信仰によって与えられたキリストにある新しいいのちと神とキリストから来る聖霊の御助けによって、自発的にまことの神を礼拝する義なる行いを実践しており、聖霊の助けによってみ言葉を実生活に生かそうと務めています。

Ⅱ婚姻のたとえ―キリストと信徒の関係を婚姻関係にたとえて理解する

 7:4「わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。」とあり、6節では、「今は、わたしたちをつないでいたもの(律法)に対して死んだので、わたしたちは律法から解放されたのである」と言っています。

 ★パウロは「律法は私たちをキリストに導く養育係である」と言っています(ガラテヤ3:24)。我々をキリストに導く教師である律法から我々は、何故敵から逃れるかのごとく解放されなければならないのでしょうか。

 ★旧約の詩篇119:165には、「あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり、何ものも彼らをつまずかすことはできません。 とあります。また、詩篇19:7には「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。 とあります。また、パウロもローマ7:12「律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。」と言っています。この聖く正しく良いものである律法から解放されなければならないとは、どういうことでしょか。7:7にもこうあります。「それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。」

 ★律法は聖く正しく、良いものですが、その律法を受け取る人の心の在り方の違いによって、律法の働きが違ってきます。キリスト信仰以前のキリスト者や非キリスト者にとって、律法は人を罪に定めるもの、人を死に至らしめるものです。

 7:10,11「いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。

 ★非キリスト者や罪を隠しそれを告白していないキリスト者にとって、律法は罪を指摘し断罪し、その人を霊的に殺すものです。罪を隠していたダビデは律法の戒めに責められ、うめき苦しみました。しかし、罪を告白しその罪を赦された後、彼はみ言葉を愛し、主のおきてを喜んで、昼も夜もおきてを口ずさむ者となりました。

 ★キリスト信仰によって救われる以前の人のとって、律法は罪を指摘し、人を死と滅びに追いやるものです。従って、クリスチャン以前の人にとって、律法は妻である自分を多くの重荷と要求で苦しめるDVを働く夫のようなものです。妻がこの苦しみから解放されるためには、律法のもとにあっては、夫か妻が死ななければなりません。7:2「すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。」

 ★このローマ7章の婚姻のたとえは、律法を夫、そしてクリスチャン以前のクリスチャン予定者を妻に例えています。この妻であるクリスチャン予定者は、生きている限り律法に縛られ、夫である律法との婚姻関係を解消することができません。

 ★そして、律法が死ぬことはありません。律法の妻である自分が死ぬ必要があります。律法の妻であるクリスチャン候補者は、キリストを信じてキリストの十字架と共に古い自分に死ぬことによって、律法との婚姻関係を解消し、キリストと再婚して、キリストの死と復活にあずかって、キリストにある新しい人となり、聖霊の油注ぎを受けて、御霊の働きと導きによって、自分を死に追いやる律法が実は、キリストを信じて従う者の魂を生き返らせ、無学な者を賢くし、人に命を与えるものであることを知ることになります。

 ★このようにして、8:1「今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがありません」8:4「これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです」8:13 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるのです」。8:14「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神のこどもである。」

 ★エジプトの宰相となったヨセフの計らいで、エジプトに移住したヤコブの家族70人は、エジプトで430年間暮らし、出エジプトの頃のそのイスラエル民族は完全にエジプトの奴隷となっていました(創世記45−出エジプト記1)。このイスラエルがモーセに率いられてエジプトの束縛を脱出し、約束の地カナンに行くまでの苦難の旅路は、私たちキリスト者の信仰生活のモデルであることについては先週も触れました。

 ★イスラエルが40年の間シナイの荒野を放浪して、様々な苦しみを体験した様に、私たちもキリスト再臨後の新天新地での安息の日々を送る時が来るまで、イスラエルと同じように、地上で様々な苦難の時を経なければなりません。それは私たちを聖めるためです。

 ★キリスト信仰によって救われた私たちは、キリストのかたちに似た者へと形造られ(ローマ8:28-29)、聖められ磨きを掛けられる必要があります。次の78章では私たちのその聖めの問題が引き続き論じられます。



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キリスト紀元2019年 5月 13日公開

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