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    ローマ人への手紙講話

〈16〉きよめの道(5)万事は私たちキリスト者にとって最善となる

ローマ人への手紙8:18-39

 18わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 19被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。20なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 21かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。22実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 23それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。

24わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。 25もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。

 26御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 27そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。28神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 29神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。 30そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。

 31それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 32ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。33だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 34だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 35だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

 36「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。 37しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 38わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 39高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

講話

Ⅰ今の時の苦しみは、来たりべき栄光に比べると取るに足りないこと

 18節「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」とパウロは言っています。パウロはキリストの使徒・伝道者として、Ⅰコリント1531で言っているように、「私にとって毎日が死の連続です」。Ⅱコリント11:23-28に、パウロが連日体験している死の苦しみが羅列されています。

 ★入獄の苦しみ、ムチ打ち刑の苦しみ、海の難、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、にせ兄弟の難、都市の難、荒野の難、飢え乾きの難、寒さの難、裸の難等々数々の苦しみを数え上げています。パウロのように伝道者でなくとも、キリスト教会はこの世の人々から迫害を受けることが定まっています。今の我が国ではキリスト信仰故の迫害は少ないかもしれませんが、「私たちが神の国に入るのには、多くの苦難を経なけれがなりません。」(使徒14:22)。

 ★キリスト者でなくても、今の時代この世で、普通の生活を維持するだけでも、多くの国民にとって困難な時代です。今日本全国で、子供食堂という救済活動が増大し、その食堂開店が増えているということです。欠食児童救済のためです。貧しい家庭が増えているのです。高齢者に限らず、生きて行くだけで苦しみが伴う時代となっています。

 ★しかし、私たちキリスト信仰者にとっては、今の世の苦しみは、来るべき栄光に比べると、取るに足りない、問題にならない小さなことだと言うことができるのです。Ⅱコリント4:17で、パウロはその理由を語っています。「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」

 ★この世の人々にとっては、今の世の生活がすべてですから、今の暮らし向きの良し悪しは重大な問題です。私たちキリスト者にとっては、来るべき栄光の生活が待っているので、この世の生活の良し悪しは致命的な問題とはなりません。

 ★今のこの世の苦しみは、アダムの罪の結果、大地が呪われたため(創世記3:17)であり、この呪いは人間社会ばかりでなく、動植物、被造物全体に及んでいます。人間界ばかりでなく、被造世界全体が今、世界再創造に向けて産みの苦しみを味わっているのであり、キリスト再臨と共に実現する新天新地とそこに住む神の子等、即ち贖われたキリスト者の出現を待ち望んでいます。

Ⅱ御霊のとりなし

 26節、27節には、聖霊なる神が私たちの祈りを助けてくださることが記されています。御霊が助けてくださる祈りについて、パウロはⅠコリント14章で語っています。Ⅰコリント141415でパウロはこう言っています。

 「もしわたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばないからである。 すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。」Ⅰコリ14:14,15

 ★パウロは異言で祈ることについてこう語っています。「わたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばない」Ⅰコリ1414。Ⅰコリ144では「異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。 」と言っています。

 ★「徳を高める」と訳されている原語ギリシャ語オイコドメオーは「(家などを)建て上げる、築く」という意味です。その意味は「異言を語る者は自分自身の霊性を高め築き上げる」ということです。

 ★異言の賜物は新約聖書の時代だけ有効に働いたけれど、今は止んで無用となった賜物なのではなく、今もキリスト教会にとって有効かつ必要不可欠な賜物なのです。

 ★御霊が私たちキリスト者の祈りを執り成してくださる時、私たちの口と舌を使って異言という形で執り成してくださるのです。ペンテコステの時、信徒が習ったことのない外国語で神の言葉を語ったように、今でも聖霊は私たちの口と舌を使って私たちには分からない言語で語ってくださるのです。

 ★それが、聖霊の与えてくださる祈りの言葉なのです。その時、祈る私たちにその言葉の意味が分からなくても、父なる神は聖霊が語らせる祈りの言葉を理解してその祈りに答えてくださるのです。

Ⅲ万事は私たちキリスト者にとって最善となる

 28節は、口語訳も新改訳も、「万事を益としてくださる」と訳していますが、その益と訳されている言葉は益ではなく「善」(ギリシャ語「アガソス」)という言葉です。主イエスは、「よい(善なる「アガソス」)主よ。」と呼びかけて来た金持ちの若い役人に向かって、「善なるお方は父なる神のほかにおられない。」と答えておられます(マルコ1018)。

 ★神は善なるお方であり、神以外に善なるお方はいません。キリストの御救いは、私たちキリスト者を善なるお方・神とキリストに似た者にしてくれる神の御業です。

 ★私たちキリスト者が地上で体験するすべての出来事は、私たちを神・キリストに似た者に変える働きをするように、神は全ての出来事を手配し按排してくださるのです。

 ★ヨセフの兄弟たちは穀物を買いにエジプトに来た時、自分たちが裏切ってイシマエル人に売り渡した弟ヨセフが、その国の宰相になっていることを知らされ、仰天させられました。

 ★エジプト移住後、父ヤコブが死去すると、弟ヨセフに復讐されることを恐れた兄弟たちはヨセフに、「あなたの父は死ぬ前に、『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちはあなたに実に悪い事をしたが、どうかあなたの兄弟たちの罪を赦してあげなさい』と言いました。どうか、私たちを赦してください。」

 ★これを聞いてヨセフは、「あなた方は私に悪をはかりましたが、神はそれを良いことにかえられました。わたしは神の立場に立って復讐することはできません。」と答えました。

 ★神はイスカリオテのユダの裏切りを用いて、キリストの十字架の救いの道を備えられた様に、悪を善に変換することのお出来になるお方です。

 ★義人ヨブの信仰を破壊しようと、サタンはあの手この手を使ってヨブを苦しめ悩ましたが、サタンはヨブの信仰を破壊することは出来ませんでした。ヨブはサタンが送り込んで来た数々の災難によって神への信仰を失うことなく、かえって高いレベルの信仰へと成長させられ、災難によって失ったものが二倍となってかえって来、失った10人の子供たちに代わって新しい10人の子供に恵まれました。

 ★私たちキリスト者がキリスト信仰によって救われた目的・目標はキリストに似た者になることです。山上の説教によって示されたキリストに似た生き方が、私たちのこの世での生き方となります。

 ★復讐は神に任せて決して復讐しない、右のほほを打たれたら左のほほを向けるキリストと同じ生活態度を身に着けることが、私たちのこの世での人生の目標です。キリストが来るべき神からの栄光を求めて、地上では十字架の辱めを耐え忍ばれたように(へブル12:2)、私たちもキリストに習う者となることを主は求めておられます。この世で辱めを耐え忍ぶ者は、来るべき新天新地でキリストと共に支配者となるのです(Ⅱテモテ2:12)。

Ⅳ私たちを神の愛から引き離すものは何もない

 ★ダビデは、正当な理由もなく自分を憎む者が、頭の毛の数程居ると証言しています(詩篇69:4)。神はサウル王を見放して、次期ユダヤ国王としてダビデを選び、彼にサムエルの手によって任職の油を注がれました。サウル王は自分の地位を脅かす者としてダビデを敵視して、彼の命を無きものにしようとあらゆるチャンスを捉えて攻撃してきました。

 ★ダビデは、サウル王たちによる肉体的、精神的迫害に打ち負かされることはありませんでしたが、家来ウリヤの妻バテセバを用いたサタンの誘惑に負けて、姦淫と殺人という大罪を犯し、サタンに敗北したかに見えましたが、主の憐れみにより、彼はサタンの縄目から解放され、へブル書11章に信仰の勇者の一人として名を連ねるに至りました。

 ★私たちキリスト者が今まで体験した人生の全ての出来事が私たちを善なるキリストに似た者へと成長させるものであったように、これから将来体験するであろう全ての出来事は「わたしたちをキリストの愛から離れさせる」ことは決して出来ず、日毎に豊かなキリストの愛に包まれ、守られ、捉えられ、キリストにある成人・大人・全き人へと変貌することが定まっているのです。


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キリスト紀元2019年 7月 1日公開

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