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    ローマ人への手紙講話

〈7〉信仰義認(2)

ローマ人への手紙4章 1-15節

1それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。2もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。 3なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。 4いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。 5しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。 6ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、

7「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。 8罪を主に認められない人は、さいわいである」。

 9さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。 10それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。 11そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、12かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。13なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。 14もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。 15いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。

 講話

信仰義認について

 A アブラハムの場合

 ★3章までで著者パウロは、すべての人間が神の御前では罪人であることを示し、人は律法の行いによっては義とされない(神の御前に罪のない正しい人と認められることはできない)ことを示し、人が救われるのは、行ないによらず、キリスト・イエスによる贖(あがな)いによって、罪のない正しい人(義人)と認められることを語ってきました。そして、信仰義認の実例として旧約聖書のアブラハムとダビデの二人を取り上げています。

 ★3節で「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」という創世記15:6のみ言葉をパウロは引用しています。

 ★主なる神がアブラハムに幻のうちに語られ、「アブラハムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」と言われました。この時アブラハムには子がありませんでした。そこで、アブラハムが「私の家の奴隷エリエゼルが私の跡継ぎになるのでしょうか」と問うと、主は「エリエゼルが後を継いではならない。あなたの身から出る子が跡取りとならねばならない」と言われ、主は彼を外に連れ出し、「さあ、天を見上げなさい。あなたの子孫は空の星、海辺の砂の様に数え切れない程になる。」と言われました。その時、アブラハムはその主の言葉を信じたのです。それで主はアブラハムのその信仰の故に彼を義と認められたと創世記15:6は明確に語っています。

 ★神の選民イスラエルの父であるアブラハムが、神の御前に義と認められたのは、このように彼の信仰の故にでした。このアブラハムの信仰義認が神の選民イスラエルとキリスト教会の信仰義認の原形であり、原点であり出発点なのです。

 B ダビデの場合

 ★7節、8節にダビデの詩が記されています。これは、詩篇32:1,2のみ言葉です。詩篇32:1−5にこう書いてあります。

 「1そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。2主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。 3わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。4あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。5わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、『わたしのとがを主に告白しよう』と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。」詩篇32:1−5

 ★ダビデは家来ウリヤの妻と姦淫した上で、ウリヤを戦死させ、バテセバを奪い取りました。この罪を預言者ナタンに指摘されると、彼は素直に自分の罪を認め「私は主に対して罪を犯しました」とⅡサムエル12:13で告白しています。

 ★ダビデに限らず、犯した全ての罪は主に対して犯したものです。従って、罪を赦す権限をもっているのは主なる神様です。ですから、8節「罪を主に認められない人は、さいわいです」。

C アブラハムは割礼を受ける前に信仰義認を受けたこと

 9−12節でパウロは、信仰義認の恵みは割礼のある者にだけでなく、割礼のない者にも与えられていることを、旧約聖書を用いて論証しています。アブラハムが信仰によって義と認められたのは、彼が割礼を受けるはるか前であったことをパウロは指摘しています。

 ★アブラハムの信仰義認は創世記15:6に記され、割礼を命じられたのはその後の17:10です。そこに「男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。 」とあります。

 ★この割礼の命令は、信仰義認の宣言から1525年たった後と判断されています。この割礼命令は、主とアブラハムとの契約の印として後から付け加えられた命令であって、信仰義認を受ける全ての人々への命令ではありません。

 11そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、12かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。

 12節は、ユダヤ人も律法にって義とされたのでなく、アブラハムと同様に、信仰によって義とされたことを明確に語っています。

 ★主イエスの時代のユダヤ人は、行ないによって義とされていたかの様に思われますが、そうではなくユダヤ人も異邦人も全ての人々がキリストの十字架の贖いを信じる信仰によって、罪赦され義とされたのです。「取税人とパリサイ人」のあのパリサイ人の様に自分の行いを誇っていたユダヤ人は、主なる神の御前では、哀れにも義認を受けられず、罪を背負ったまま死後の世界へ送られることになります。

 Ⅱ世界の相続人となる約束

 ★創世記12:1−3で、カルデヤのウルから約束の地カナンに向かったアブラハムに主は「あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」と言われました。ロマ書4:13,16では、アブラハムへの祝福は世界の相続人となる約束であったと言われています。そして、その世界を相続する約束は、新約聖書の中で明らかにされており、救い主キリストの再臨の後、再創造される新天新地の相続であることが啓示されています。

 ★旧約時代のユダヤ人には、約束の地カナンは乳と蜜の流れる豊かな土地という形で示されていますが、それはパレスチナという中東の狭い地域でしかありません。しかし、このカナンの地はアブラハムとその信仰に習う全ての信仰者が受け継ぐ相続地のひな形、モデル、影です。

 ★その新天新地の一部について、黙示録2122章が少しく語っていますが、そのわずかな描写は、私たちが信仰と期待とをもって待ち望むに十分な情報として、主が書き記してくださったもので、私たちは更なる忍耐をもって待ち望むことができます。

 ★イスラエル民族がカナンの地を手に入れるまで、偶像礼拝者である異教徒たちと熾烈な戦いを続けなければならなかった様に、私たちも天の御国に入るまで、この世では、サタンとこの世と自分の肉との日々の死闘を重ねて行かねばなりません。

 ★パウロはルステラでユダヤ人から迫害を受け、石打にされ、死にかけましたが、信徒の祈りによって息を吹き返し、弟子たちに「しっかりと信仰に留まるように」勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と語りました(使徒1422)。

 ★イスラエルが約束の地カナンに入るまでに、様々な試練と戦いを経験した様に、私たちも神の国に入るまでには、この世、サタン、自分の肉との絶え間のない戦いを続けなければなりません。

 ★信仰の人アブラハムは、主が約束の子を中々授けてくださらないので、妻サライの勧めで女奴隷ハガルによってイシマエルをもうけました。主があなたの妻サライを祝福し、彼女はあなたに一人の子を産む。サライは国々の母となり、彼女から国々の民の王たちが出る。」と言われた時、アブラハムは主の御前にひれ伏し、笑って心の中で「百歳の者に子が生まれようか。90歳の女に子を生むことが出来るようか。」と言いました。そして、「どうかイシマエルを用いてください。」と願いました。しかし、主は「いや、あなたの妻サライが男の子を生むのだ。その子をイサクと名付けなさい。」と答えられました(創世記17:15-17)。

 ★信仰の人アブラハムも、神のみ言葉をいつも全面的に無条件に受け入れ信じていた訳でなく、この世の常識に捕らわれ、「いくら神様でも、100歳の夫と90歳の妻に子を産ませるのは無理でしょう。」と不信仰な思いに一時的には捕らわれたのです。

 ★信仰の父アブラハムでさえ、厳しい試練を通して信仰を試され、鍛えられ、小さい信仰から大きい信仰へと成長させられました。アブラハムが主のみ言葉によって大きな信仰に成長させられた様に、私たちもみ言葉により頼んでいるなら、大きな信仰の人に成長させられる希望があります。

 ★使徒行伝2032で、パウロはエペソの教会の長老たちを呼んで彼らに語りました。「私は今、あなた方を神とその恵みのみ言葉に委ねます。み言葉はあなた方を育成し、すべての聖なる者とされた人々の中にあって、御国を継がせることが出来るのです。」使徒20:32。

 ★偉大な信仰の人アブラハムがみ言葉によって信仰を大きくされた様に、私たちも御言葉を日々こつこつと学び続けて信仰に成長し、御国に入る備えをしましょう。 



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キリスト紀元2019年 2月 20日公開

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