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    ローマ人への手紙講話

〈8〉信仰義認(3)

ローマ書4:16-25

16このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、 17「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。 18彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。 19すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。 20彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、 21神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。 22だから、彼は義と認められたのである。 23しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、 24わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。 25主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

講話

 Ⅰ天地万物の造り主がその御手の作品である私たち人間に求めておられる事

 ★創世記第1章に天地万物の創造者・父なる神が万物創造の仕上げの段階で、人間を造られたことが記されています。その時、主が言われたことは、「我々(3人で1人の神)に似せて人を造ろう。そして、その人間に全ての生き物を支配させよう」ということです。

 ★神は人を地球上の生き物の支配者・管理人として造られました。その時、主がわたしたち人間に求められた事は、自発的に公義と正義を行い、神の御心を自発的に心から喜んで実践する心です。

 ★神は、アダムをまるでロボットの様に神の命令に絶対服従する、そして神の御心に逆らう能力のない生き物にお造りになることを望まず、自分から率先して神の御心を喜んで行う生き物となってくれるように望まれました。

 ★それで、アダムに「善悪を知る木」から実を取って食べるなと命じられ、そのテストに敗れたアダムは、罪をもち死ぬべき者となりました。

 ★この罪と死の性質を帯びた人類を、滅びから救い出す救い主をエバの子孫の中から生まれさせるという約束を創世記3章15節で明らかにされました。

 ★アダム以後の人類は、創世記3章15節のメシヤの約束を信じて神に従うアダムの子セツの子孫と弟アベルを殺した兄カインの子孫とに分かれました。

 ★神は女の末メシヤの約束を信じる信仰の父アブラハムを選び、神の民イスラエルとキリスト教会の信仰の父として立てられました。アブラハムは、神が求める自発的な従順を示す手本となるべく、神に選ばれ、育成された神の人、信仰の父です。

 ★アブラハムは元はアブラムという名で、その意味は高貴な父、高くされた父(high father)という意味でしたが、その後子孫が空の星や海辺の砂の様に無数になることを信じて義とされた時からアブラハム(無数の人々の父)という名に変えられました。

Ⅱアブラハムはあらゆる国々の人々の信仰の父となった

 ★18節「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。」また、彼は19節「およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。」

 ★アブラハムは創世記153で、主に「わたしの家の奴隷エリエゼルが相続人になるのでしょうか。」と問うと主は「その者が相続人になってはならない。あなたの身から出る者が相続人とならなければならない。」と言われ、空の星を見上げさせ、「あなたの子孫はあの様になる。」と言われました。6節「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」と創世記156は言っています。

 ★アブラハムが割礼を受ける前に、そしてモーセが律法を受けるはるか前に、主はアブラハムを信仰によって義と認定されました。アブラハムの子孫イスラエル、選民ユダヤ人も信仰によって義とされる民でなけ

ればなりませんでしたが、彼らは信仰義認を見失い、行ないによる義を追求し、律法の教えをゆがんだものに変え、約束の御子キリストが世に来られる頃には、信仰の義から大きくそむいた偽善の民となっていました。

 ★ロマ書154にこう書いてあります。「これまでに(旧約聖書に)書かれた事がらは、すべてわたしたちの教えのために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。」

 ★アブラハムの私たちの手本となる信仰と従順の証も、イスラエルの民の不信仰と不従順とつぶやきの記録も全て、私たち後世の信仰者を教え戒めるために書かれました。アブラハムが目に見えないものを見るようにして、耐え忍んで主のみ言葉に服従したように、私たちも聖書に記された約束を信じて、苦難と試練を耐え忍んで、信仰の大人に向かって成長して行くことを主は求めておられます。また、イスラエルの民が荒野で主につぶやき逆らって滅ぼされた様に、信仰の道の途上で挫折することのないためです。

 ★アブラハムはロマ書4:18「彼は望みえない時に、望みを抱いて信じました。」4:19「アブラハム100歳、サラ90歳では、当然子を産めない年であり、子を産む能力としては全く死んでいた二人ですが、神は約束なさったことを必ず成就してくださることを信じました。

 ★アブラハムが年老いた彼とその妻サラの死んだからだを、神はよみがえらせ、息子イサクを死からよみがえらすことが出来ると信じた(へブル11:19)その信仰は、わたしたちがキリストの復活を信じる信仰と同じです。

 ★アブラハムの信仰義認は私たちの信仰義認の先駆けです。23節「『義と認められた』と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、」。24節「わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである」。

Ⅲ我々キリスト者は何故キリストの復活を信じるのか

 【1】キリストの十字架の死と復活は旧新両約聖書全体の中心テーマであって、聖書が全体を通して、その死と復活を揺るぎのない事実として証言しているからであり、私たちキリスト者は聖書を誤りなき神の言葉と信じているからです。

 【2】キリストを信じる私たちキリスト者の心に父なる神と子なる神キリストから遣わされた聖霊なる神が住んで居られ、その聖霊なる神がキリストの復活を事実として証し、私たちの心に断固たる確信を与えていてくださるからです。

 【3】神の被造世界が死と復活を証しているからです。

 ★太陽の輝く生き生きとした昼間はやがて太陽が沈んで闇が支配する夜となり、夜の後に夜明けが来て活気溢れる新しい一日が始まる。

 ★一粒の種が地に落ちて死ぬと、芽を出し息を吹き返し、大きく成長して花を咲かせ実を結びます。トンボの幼虫ヤゴは水中生活をしていますが、時が来ると水中から出て脱皮して、別世界の空中を軽快に飛び回り、子供らを魅了する昆虫となります。

 ★このように死と復活は神の被造世界が無言の声で証言しています。キリスト信仰によって与えられる新しい命は私たちの目のうろこを取り除いて、キリストにある死からの復活の神秘を悟らせてくれます。

Ⅳ アブラハムの信仰は行ないと共に働いたことについて

 ★創世記22章にアブラハムが約束の子イサクを、神の命令に従って燔祭として捧げる行動を起こしたことが記されています。息子や娘を偶像の神々に捧げる人身御供が昔から偶像教世界で行なわれています。

 ★アブラハムは、「約束の子イサクをモリヤの山で全焼のいけにえとして捧げよ。」という神の命令を間違いなく神の命令であってサタンの声ではないと、どうやって判別することができたのでしょうか。

 ★それはアブラハムが、神との絶え間ない交わりと臨在の訓練によって養った鋭く磨かれた霊性によって、神の御声を神の御声として正確に判別する力をもっていたからです。ヨハネ10:3-5はこう言っています。

 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。ヨハネ10:3-5

 ★アブラハムは、神との絶え間ない深い交わりを通して神のみ声を聞き分け、サタンの声を見破る正確な霊的聴力を養っていました。私たちも聖書の深い学びと、神との御霊による祈りの交わりを通して、サタンと神の声を聞き分ける耳を養うことが出来ます。

 ★アブラハムは、カルデアのウルから、神に命ぜられた約束の地カナンに行くために旅立ち、途中ハランに住みつきました。そのハランから再び出発してカナンに向かいました。アブラハムがハランを出た時は、彼が75歳の時でした。

 ★アブラハムは、神にカナンの地へ行けと命じられた時、「私はもう75歳で落ち着いた生活がしたいので、もう旅に出たくありません。」と神に逆らうことをせず、従順に神の命令に服従しました。

 ★約束の子イサクを捧げるよう命じられた時も、「最愛の、そして約束の子を何故捧げなければならないのですか。」と神に刃向かうことをせず、神はイサクを死人の中から復活させてくださると信じて息子を捧げる決意をして、「彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。」創世記22:9

 ★彼が息子を捧げようとした瞬間に、天からのストップの声がかかって、息子の代わりに主が備えてくださった雄羊をささげました。

 ★アブラハムは、神はイサクを死人の中から復活させて下さると信じて神の命令を実行する決意を固め行動に移しました。

 「彼アブラハムは、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。」へブル11:19

 ★アブラハムの信仰は、心の中で観念的に信じるだけでなく、行いと共に働く信仰でした。

 ★ヤコブ2:20−26でヤコブは、行いのない信仰は死んだ信仰であり、アブラハムがイサクを捧げた時、彼の信仰は行いと共に働いたのであり、信仰は行いによって全うされた、と言っています。そして、「霊魂のないからだが死んだものであると様に、行いのない信仰も死んだものなのである。 」ヤコブ2:26と言っています。

 マタイ7:21にこうあります。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」

 ★主イエスの12弟子の一人で、主の御そばに仕えていたイスカリオテのユダは他の弟子たちからは仲間の一人と思われていましたが、主を裏切る者、滅びる者の仲間の一人となりました。

 ★み言葉の実践の第一歩は、信仰を隠さず、神と人との前で言い表すことです。9自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。10なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 」ロマ書10:9,10

 ★救いを得るための信仰とみ言葉の実践の第二歩は、聖書を神の言葉と信じる健全なキリスト教会で、洗礼を受け、礼拝を守り、その教会で聖徒の交わりを持ち、献金を捧げ、日々聖書を計画的に読み進み、祈って神との交わりを続けることです

 ★祈りとみ言葉の実践に励み、心をつくし、力を つくして神を愛するその愛を、隣人愛と主にある兄弟愛の実践によって深め、確かなものにして行くことです。

 20「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。 21神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。Ⅰヨハネ4:20,21


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キリスト紀元2019年 3月 5日公開

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