19話 しっぺがえし

 さて、前にエログロマンガを描いたことを話したが、もう少しその話を・・・

 私はエログロを否定しているわけではない。ただ、話を作るとき、登場人物をいかにしてヒドイ目にあわせるか、どうしたらもっと過激に残酷になるかを追求してしまった・・・
 つまり、キャラクターをストーリー展開のためのただの駒扱いをしてしまったのだ。そうやっているうちに私はマンガを作る意欲を喪失していった。キャラクターを愛さなかった、そのしっぺがえしをくらったのだ、と思う。

 スーパージャンプで連載した「御令嬢金崎麗子」は、実は集英社に行く前に小学館の某編集部に3話分持ち込んで、半年保留されたあげくボツになり、そのあと2箇所の編集部に持っていってたのだ。当然、そこでもボツになったのだが、その「金崎」を読んだそこの編集がこう言ったのだ。
 「金崎をもっと人に好かれるキャラクターにしてほしい」
当然、私は言った。「ギャグなのだし、笑ってもらえるキャラクターではダメなのですか?」
編集は言った。「あなたがこのキャラを笑いものにしているだけでしょう。それじゃあ、金崎がかわいそうだ」

 その当時、私はそう言われてもピンとこなかった。これはギャグのつもりだし、現にそのあとで持ち込んだスーパージャンプで連載をとり、連載中、小学館のほかのある編集からは「おもしろい」とお褒めの言葉をいただいたのだ。そうだ、「おもしろきゃいいじゃないか」

 でもひょっとしたら、「金崎」を描いている頃から、私は自分の産んだキャラクターを遠い距離から冷たく突き放して見ていたのかもしれない。
 そしていつのまにか、単なる「道具」としてキャラクターを扱ってきていたのだ。

 マンガの原点、それは自分の産んだキャラクターに対して入れ込むことなのではないか。作者がそのキャラを愛せなくて、読者が愛してくれるはずないのだ。

 エログロを描いて、キャラをヒドイ目にあわせることばかり、考えていたとき、「かわいそう」と思ったことはなかった。もちろん話作りに冷静な目は必要だ。でも、キャラに入れ込むってことを私はすっかり忘れていた。ただソツなく話をつくり、こなしていった。そうしてるうちに・・・
 だんだん話が作れなくなってしまった。苦痛になってきたのだ。考えると吐き気がしてくる。もう画はもちろん字をかくのも嫌、というほどスランプに陥ってしまった。こんな状態は初めてだった。

 それが何ヶ月か続く。編集部への持ち込みを休めば、すぐに忘れられてしまう。でもそのころ「あせり」さえ感じなかった。マンガに対する情熱は冷めていたのかもしれない。これはマンガをやっていくのに致命的な症状だろう。

 よく「マンガの神様が降りてくる」という。話がパーっと浮かぶときなんか、そう言われる。でももう私にはマンガの神は来ないのだ・・・が、キャラを「おもちゃ」にしたこのエログロが私の最後の作品になるのか、と思ったらそれは嫌だった。まだ、少し情熱とこだわりが残っていたのか・・・最後くらい・・・せめてキャラクターに入れ込みたい、原点に戻ろうと思った。

 ああ、その時マンガの神様は降りてきたのじゃった・・・もしかしたら最後の神様かもしれない。

 というわけで、ピアニストを主人公に、私の1番知っている世界を描こうと思っている。もちろんキャラクターに入れ込んでいる。ただ、デビューして12年以上やってきたわけだから、冷静に見ることも忘れてないつもりだ。そしていくら私が専門にピアノをやってきたとはいえ、ただの生真面目な話にはしていない。演出としてのマンガ的ハッタリもある。私にできるマンガ力を結集して今、作っているところじゃ。
 そして、これなら最後の作品になってもいいか、と思っている。完成予定は2003年4月、どんな形であれ、発表したいと考えている。
 ピアノマンガでデビューしてピアノマンガで幕を閉じるのも悪くないと思っているんである。

 そして今も、あの編集者が言ったことを思い出す。
 「金崎がかわいそうじゃないか」
 本当にマンガを愛している編集さんだったのかもしれない。 

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