第18回 マンガの最終回

 出版社にとってマンガは作品でなく商品である。ま、当たり前のことではある。作品として扱って欲しいというのは甘えであるかもしれない。人気がある限り続け、儲けて何ぼである。でなければ、会社としてやってけないのも分かる。

 だが、やはりマンガを描く側としては最終回まで破綻なく作品として話を盛り上げ終わらせたい。商品として割り切れない部分があるのだ。
 人気がなければ早々に打ち切られるのは当然だ。でも反対に作り手がこの話を終わらせたいと望んでも終わらせてくれないのは辛い。
 もちろん、どんどん話を広げ展開させ、まとめながら、えんえんと続けていける作家の方もいるだろう。でも多くの物語は、作品として終わるべきところがあると思う。それを無視して続けていくと、作品として破綻していく。それがマンガ連載の宿命だという人もいるだろう。が、自分の作品が無残になっていくのはやっぱり嫌である。

 一読者としてマンガを読んでいても、私はそう思う。「この話、どうなるのかなあ・・・でもどうせ人気がある限り、えんえんと続いて、結局破綻するんじゃないか?いつまで続くんだ?最近無理にひきのばしているような・・・さっさと決着つけて欲しい」
 そして、結局そのマンガに付き合いきれなくなり、読まなくなる。んで、いつの間にか、その作品は終わってたりする。最終回を見逃し、「あれ?いつ終わったの?」てなことになるのだ。あるいは最終回を読んでもちっとも心に残らず、「あれ?どんな終わり方したんだっけ?」となる。

 途中さえ面白きゃ最後はどうでもいい、というのは出版社側の考えだろう。いかにして儲けるかが1番の存在理由なのだから。その作家が次も「儲かる」マンガが描ける保障はない。

 マンガ家だって、お金は欲しい。多くはそれで生活しているのだから。でも商品だけど作品でもありたいと思う。多くの作家さんは商品と作品との間で日々闘っているのだろう。

 私はただ描きたい思いでマンガ人生をスタートしたが、いつの間にか作品より商品として描くようになってしまっていた。マンガを見る目は編集者と同じ視線になってしまった。とにかく人気のとれそうなものを考えて、ただ「お金にする」というモチベーションでマンガを描くようになってしまった。
 若いときは「お金」が欲しかったが、今は「お金」というモチベーションでは情熱がわかなくなった。私は一体何が欲しくて何がやりたいのか?

 惰性に近い状態でネームをやっていた時、ある編集に言われた。
 「ハヤシさん、ソツなくできるんだけど、なんかこのマンガ、熱が感じられないんだよね」

 やっぱり、マンガ家は編集者と同じ目線ではいけないのだ。「マンガ」を商品にするのは編集側の仕事であり、マンガ家の仕事じゃないのだ。
 マンガを描くモチベーションはやっぱり「描きたい情熱」があってこそである。そして物語の終わるべきところは自分で決めたい、とせつに思うのだ。

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