4話 連載体験記

 私が初めて連載を経験したのは1989年12月、週刊少年サンデーだった。
 内容はピアノマンガ。当時、少年マンガで「ピアノ」ものはめずらしい、ということで採用されたようだ。
 けれど人気はそれほど上がらず、1年で増刊に移り、その後9ヶ月で打ち切りとなった。
 あの頃はマンガバブルと言われ、出版社に余裕があった時代。ある程度その作品が格好つくまで続けさせてもらえていた。(ただジャンプは違ってたけど・・・)。

 その1年9ヶ月間、2回担当が替わって3人の編集者にお世話になったけれど(小学館は編集部の異動が他の出版社に較べて多い)人気について厳しく言われたことは1度もなかった。
 私もまだプロ意識が浅く、週刊連載という大変さはあったもののストレスを感じることはなかった。

 
さて、本当にきつかったのは集英社のスーパージャンプでの連載。とにかく人気を獲らねばと担当編集者から、ものすごい圧力。私の場合、7ページのギャグだったので、いつでも打ち切りが可能。
 この連載の企画は、実をいうと編集長は乗り気ではなかったとのこと。副編集長が押してくれたので何とか連載にこぎつけたらしい。
 マンガの内容は、社長令嬢がすごいケチで、ひたすらケチ道を究めるという話。


 そして第1話、やっぱり人気がとれなかった。3話目で、もう打ち切りの話が出たとのことで、ああ、さすがジャンプと落ち込んだものでした。
 ところが、その後ジリジリと人気投票が上がりだした。それは、内容をバトル形式にしてからだった。ああ、やっぱりジャンプ・・・。

 ケチ道を行く主人公がレストラン等で、いかにして伝票を相手に押し付けて、おごらせるかという壮絶?なバトルを繰り広げる・・という話。題して、おごられバトル。
 このテーマでそこそこ人気がとれたので、ずっとこれで行こうということになった。でもネタが続くのか・・・。
 担当はこのバトル以外のテーマは絶対に受け付けない。これがストーリーマンガだったら次号に続く、てことができるけど、ギャグマンガはそれが許されない。1話1話で決着をつけていく。案の定、10話で尽きた・・・。


 ところが別のテーマをやったら人気が下がった・・・。「やっぱり、おごられバトルしかない。」と何とかもう10話がんばった。でもこれ以上は・・・。
 ネームができず担当からの催促の電話にビクビク・・・。完全に煮詰まった。 
 自分ひとりの考えじゃもう限界・・・でもギャグマンガにゴーストライターはつけてくれないだろう。そこまでの人気はとれてないし・・・とそんなある日、担当が替わった。

 新しい担当さんは、あの週刊少年ジャンプから異動してきた、しかもギャグ作家をけっこう担当し育ててきたという。あの名作ギャグ「マサルさん」の作者を(「マサルさん」が始まる前だけど)担当していたとか・・・。
 その担当さんはネームの前に一緒にネタを考えてくれたので、ギリギリで続けることができた。この時初めてマンガは担当編集者との共同作品なのだと思った。

 結局2年ちょっと続けることができた。ほとんどの話が「バトル」である。

 最後の方は本当に限界を感じて「打ち切りにしてほしい」と担当に相談したら、「それを決めるのは編集長で、作者が決めることはできない。」と言われた。

 そしてさらに厳しさを感じたのは、スーパージャンプ編集部のシステム。
 ふつう、連載の場合は、担当のOKが出たらすぐに原稿にとりかかれるんだけど、スーパージャンプでは常にデスク、副編、編集長のチェックが入り、担当のOKが出たにもかかわらず、ネームの練りなおしを言われたりすることがある。
 隔週誌だったけど、サンデーの何倍もきつかった。

 とにかく人気をとらなきゃ。そしてそれを持続させる。それがプロというものなのかあああ。
 「当たり前じゃ」と言われるかもしれないが、いつまでという期限がないのが1番身にしみた。私は甘かった・・・
                               2001年 12月 記

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