第17回 エロの限界、ああパンティのシワ

 さて、「ハヤシのぼやき」などで「セクハラーいかーん」と雄叫びをあげていたハヤシであるが、懺悔せねばならぬことがある。それは、つい安易に、人気を取りたいがために女性を「性の道具」みたいな描き方をしたことだ。やっぱ、男性読者相手の青年誌なので、・・・ね。でもちゃんと相手方の男性キャラにはそれなりのお仕置きをあたえましたぞ。

 しかし、男性読者相手にエロを描くのは限界があった。ほかの男性マンガ家が描くエロにはやはりかなわない。そう、男性マンガ家が描くあの「パンチィのシワ」に何と情熱がこもっていること!じつにこだわりをもって、トーンを削り、微妙なエッチなシワをお描きになる。

 ああ、男性作家のエロには、パンチィのシワに念が込められているのだ。シワひとつにとてつもないパワーを感じる。オーラ・・・とでも言おうか、そうパンチィのシワからオーラが放たれているのだ。エロの極致じゃ。

 私がどんなにマネをしたところで、あの情熱は出せない。念を込められない。「こだわり」ももてない。パンチィのシワを描いてもちっともおもしろくないのだ。おもしろくないものに「こだわり」はもてない。じゃあ、男のパンツのシワならこだわるかというと、そうでもない。男のパンツ描いてもそんなにおもしろくない。でも体の線を描くのはこだわるぞ。ムフ・・・

 ああ、パンツと言えば、某テレビ番組のかの田嶋陽子先生の「パンツ論争」から、ハヤシの尊敬する田嶋先生の活躍が始まったのだっけ。「男も自分のパンツを洗え、女ばかりに洗わせるな。たまには男が女のパンツを洗ってみろ」というような内容じゃった。
 あれだけ「女のパンチィのシワ」にこだわる男性マンガ家(結婚もしくは同棲している方)も、奥さんや彼女のパンツなんか洗わないのだろうか?

 とにかく、ハヤシは女キャラをエッチに描くことにどうしても男性マンガ家に負けてしまうのだ。もちろん女性のマンガ家でも女キャラをエッチに描ける人はいるが・・・

 そういう描写をしている時、私は非常に冷めていた。それはたぶん、キャラを人間扱いしてなかったからだと思う。話を作るための道具だった。情熱をもってかけるはずはない。そこそこ人気が取れたとしても、念を込めて、こだわりをもって描く男性マンガ家の作品を抜くことはできなかった。当たり前である。

 はっきり言って、パンチィのシワなんぞどうでもいいのである。そんなハヤシに男性向けのエロは無理なのだ。女体の線もデッサンが狂わないように描くのが精一杯、こだわりは持てんのじゃあああ・・・やはり男を主体に描きたいものよ。男の体なら情熱をもって描こうぞ!
 だが男性誌で男の裸をこだわって描いてどうする?

 ああ、それがハヤシの限界じゃ。男性読者相手のエロはハヤシには限界なのじゃあ。
 というわけでハヤシは心を入れ替え、田嶋ファンを名乗れるようなエロをいつか描きたいと思っておる。(どんなエロになるんだ?)

 しかし男性作家でもいつもパンチィに念を込めるのは疲れるらしい。最初ははりきって描くのだが、だんだん念が込められなくなってくるのだろう。やはり、いくらパンチィとはいえ、飽きるのだろう。パンチィのシワがおざなりになってくるのだ。「ああ、この人も疲れているのだ」と分かる。すでにパンチィからオーラが感じられない、パンチィのシワひとつでマンガ家の疲労度が伝わってくる。たかがパンチィ、されどパンチィである。

 ところで、そこのマンガ家を目指している、しかもエロが好きな君・・・君はパンチィのシワに念を込めて描くことができるか?できたら、君はエロ漫画家になれるぞ。さあ、君もパンチィからオーラを出してみようではないか・・・

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