
7話 担当編集者を変える
今まで、いろいろな編集さんと付き合ってきたけど、1人だけどうしても、ついていけそうもない担当にぶつかったことがある。
それは・・・集英社の「ビジネスジャンプ」で賞を取り、ある編集さんとお付き合いが始まった時のことだ。その編集さんはやけに「リアリティ」というものに固執していた。
もちろんマンガに「リアリティ」は重要だ。だが、その担当は「私小説」のような1人称で描く「リアリティ」を要求した。
一般にマンガは「3人称」で描くのが、圧倒的に多い。
つまり、主人公以外の登場人物の心の中も、読者には分かるようにする。主人公が登場しないシーンも描かれる。「3人称」は「神の目線」である。
それで読者はその物語を全体的に把握できる。主人公以外の登場人物が何を考えているか、容易に読者は理解できるのだ。
それに対して「1人称」は、主人公の目線のみで物語が進む。
主人公以外の登場人物の心の中は分からない。セリフとして口に出すか、行動で示すかしないと他人の心は読めない。当然、「主人公」の登場しないシーンもありえない。読者の目線は主人公の目線になるからだ。
「1人称」で描かれると主人公以外の登場人物が何を考えているか、読者は容易には分からない。
そのためマンガでも小説でも「1人称」で描くのはとても厄介なのだ。
ところが、「他人の心が簡単に分からないのが現実でしょ。」と担当。
「それじゃあ物語が進まない、それに分かりやすいほうが読者にいいのでは?」と私は反論した。
「分かりやすく描くのがあなたの仕事でしょ」と担当。
仕方なく私は主人公以外の人物は「何を考えているのか」をセリフとして言わせるか、あるいは分かりやすく行動で示すようにした。
しかし、担当はこう言った。「現実に、心で思ったことをべらべら口に出して正直に言わないでしょう。人間うそ言うこともあるし思ったことと正反対の行動をとることもあるでしょ。他人と分かり合えるなんて、そもそも現実的じゃない。」
「それじゃあ、読者は混乱するし、うざったいのでは?」と私。
「それが、現実、リアリティというものでしょ。」と担当。
主人公が悩み心情をリアルに描く「1人称」のマンガや小説は確かにある。他人ともなかなか分かり合えず・・・恋愛ものをテーマに多いだろう。
が、それは私には描けない。そもそも私が描いてそれが人気を取れるとは思えなかった。
それに解せないことがあった。私は担当に聞いた。「今のビジネスジャンプに載っている作品にリアリティのあるマンガはどれですか?」
担当は言った。「ないですね。」
こりゃダメだ、この担当についていけない・・・
担当の言う「リアリティ」を追求したところでおもしろいマンガが作れるとは思えなかった。
そこまで「現実的」になったら、マンガの意味ないじゃん。それに辛い現実の臭う、解決しない話をつくったとしても、ジャンプ系の読者がそういう種類の「現実的」な話を求めているのか・・・?(求めてないから載ってないのだろう)
少なくとも私は「私小説的な1人称物語」を読むのは苦手な方だ。
担当の理想とする作品と私のマンガ観は大きくずれていた。
担当は「ビジネスジャンプ」にそういう違う種類のマンガを、と思ってたのかもしれない。
だが、「ついていけません。私にはできません。すみません。」と正直に担当に言った。
担当はその後、副編集長に相談してくれて、ほかの担当に替わることになった。
私の知っているマンガ家で、やはり担当と相性が合わず、編集長に直談判して替えてもらった人もいる。(集英社の東大出の編集さんで、ものすごい頑固でけんかになったらしい。)
でも、いつも上手くいくとは限らない。デリケートな問題なので・・・。
私の知っているもう1人のマンガ家は担当を替えてほしいと編集長に言っても聞き入れてくれなかったので、その編集部を去った。
ただ、担当とマンガ観が大きく食い違ってしまったら、新人マンガ家の場合、編集部を去る覚悟で担当を替えてもらうよう相談した方がいい。
自分の考えを担当に理解してもらうだけで消耗してしまう。そして、編集者を論破するのは、不可能に近い。編集者はそういうのは慣れっこだ。掲載にこぎつけるにはまず担当編集者のOKをとらなくてはならない。合わない担当と組んで道を開くのは難しい。
ところで「リアリティ」って何だ?てなわけで次回は「リアリティ」について語るのだあ。