8話 リアリティって一体・・・

 前回でも触れた「リアリティ」。ストーリーマンガには大切な要素だ。うそっぽい物語はしらけるし、共感もできないだろう。
 あの一世を風靡した「巨人の星」も今ではギャグマンガのように取り扱われる。

 ではどの程度までリアリティがあればいいのか?時代によって、読者の知識によって違ってくるだろう。
 例えばピアノを扱ったマンガやテレビドラマ、私はいちおうピアノを専門にやってきたのでつい野暮な粗探しをしてしまう。
 昔「赤い激流」というテレビドラマがあったが、今思うにコンクールの本選の課題曲がショパンの「英雄ポロネーズ」だけとは(たしかそうだったよな)・・・しょぼいコンクールだ。
 記憶に新しいのは「ロングバケーション」。キム拓がピアニスト役だった高視聴率のあのドラマだ。キム拓のピアノを弾く演技は立派だった。かなり自然だった。「赤い激流」の水谷豊にしろ、何のタイトルは忘れたが「ピアノもの」ドラマの主役だった小泉今日子にしろ、ピアノを弾く演技がすごく不自然だった。いかーん、そんな上から鍵盤を叩きつけて、ああっと、位置が全然ちがう・・・どこ弾いてんじゃ?・・・でもピアノを知らない人はそう感じなかったかもしれない。
 演出上どうしても本選の曲が有名な耳慣れた独奏曲1曲というのも分かる。一所懸命さを表すために上から叩きつける弾き方も理解できる。そんな小さな粗なんか気にせず物語を楽しめばいいのだ。


 さてそれでも「うーん・・・ちょっとなあ・・・」と思ってしまったのが「古畑任三郎」の木の実ナナがピアニスト役で出ていた回だ。木の実ナナが本番用と練習用のピアノをすりかえられて気がつかず、そこがポイントとなって、古畑が真相をあばく筋立てだった。でも、ピアノすりかえられて気がつかないピアニストはいないんじゃないのか。機種が同じピアノでもだ。
 しかし、ピアノを知らなければ、なるほどと思うだろう。現に私は、それ以外の回では「なるほど、さすが古畑」と脚本のすごさにうなっていた。

 一般的に知られていなければ、そこまで「リアリティ」を追求しなくてもいいかもしれない。それより演出の出来をとったほうがいいだろう。
 マンガで例をあげると「ピアノの森」という人気作品がある。

 内容は・・・森の中に1台のピアノがある。演出的に美しい光景だ。そのピアノを弾く天才少年。曲はすべて耳からおぼえる。楽譜は読めない。彼は独学でピアノを操っているのだ。友人の家のピアノの音の誰も気がつかないような調律の狂いも分かってしまう。
 しかし森においてあるピアノは相当音が狂っているのでは?調律したばかりのピアノでもちょっと弾けば調律は微妙に狂いが生じる。(専門的に言うと調律は12平均律でなされるので、純正律からみると、もともと音を微妙に狂わせておるのだ。)その前に森の湿気でだめになるだろう。部屋の中のピアノでさえ乾燥剤を入れて管理する。デリケートな楽器なのだ。音を追求するなら湿気はご法度だ。
 そんな私には森の中のピアノという発想は思い浮かばないだろう。皮肉で言っているわけではないんじゃ。知っているために発想が狭くなってしまうのだ。私がウソと感じていても、おそらく一般読者は気にもとめないだろう。それより森の中のピアノという素敵な光景に引き込まれていくのだ。

 そして天才少年は、楽譜は読めないはずだったのに「初見」で楽譜を読んで難しい曲を弾きこなす。彼の天才的なところを演出したいがためにこういう筋立てになったのだろう。私ならつい、その前に楽譜を読む訓練シーンを入れてしまう。しかしそれでは演出上、彼の天才性が半減してしまう。

 つまり言いたいのはどこまでのウソが許されるか、演出上どうしてもウソが必要ということもある。マンガに「ハッタリ」は付きものだ。「リアリティ」を追求したところで話がおもしろさが半減してしまうのでは本末転倒だ。
 言葉は悪いが、いかにして「だますか」が実は物語をつくる要素ではないか。
 ある編集者が言っていた。「マンガ家の仕事はいかに素敵なウソを描けるかなんだよ」

 しかし年々読者の知識は上がっているようにも思える。いろんな情報が手に入る。ウソと演出の見極めは難しい。やはり新人マンガ家は自分の経験してきたことを題材にするのが無難かもしれない。「スラムダンク」「帯をぎゅっとね」「柔道部物語」はそれぞれ作者自身が経験してきたスポーツだと聞く。「スラムダンク」はバスケを経験してなきゃ、あそこまでリアルに描けないだろう。
 ただ、その昔、高橋留美子先生が「経験したことしか描けないようじゃマンガ家として半人前だ」というようなことをおっしゃっていたことも付け加えておこう。

 それにしても1番すごいのがボクシングマンガの「はじめの一歩」、一般読者だけでなくプロボクサーが夢中になって読んでいるという。そしてピアノマンガで1番よくできているのが「いつもポケットにショパン」だ。

 テレビだって面白く盛り上げるための演出として「やらせ」は当たり前の時代だ。ただ「やらせ」と視聴者に分からせないように「リアリティ」をもたせるのが演出の技術だ。
 とにかく「リアリティ」とは、「うそ」と「演出効果」の狭間にある、物語を作るうえで奥深く難しい問題なのだ。 

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