反サイバーウォッチネットワーク宣言
 ■反サイバーウォッチネットワーク!宣言<オオツカ版>


■反CWNの動きをはじめてから、3カ月半が経った。その間このページや「反CWN掲示板」を舞台として発言・意見交換を行ってきたが、ここで私の姿勢を確認しておきたい。以下は1999年5月6日時点での、私の現状認識である。自己確認の意味の強い文章だが、ご一読戴ければ幸いである。ご意見・ご批判を戴ければなお幸い、ですよ。(99.5.6)

※後日注:これ、いくらなんでも力み過ぎなのでは…だはは(苦笑)(2000.11)

■CWNは、やはり危険な組織である。
 DerAngriff・初代管理人氏による「反サイバーエンジェルズ」ページや「反CWN掲示板」への多くの書き込み、またkamezo氏による「サイバッチ!」など、“草の根的”な ─ イヤな言葉だが… ─ 調査活動があぶりだしたCWNの実態。それはまさにお粗末!としか言いようがないモノだった。

 監視を行う「ボランティア」達はただの寄せ集めで組織の全貌すら知らず(知らされず)、そもそも彼らを「推薦」したはずの警察も上部からの命令で頭数を揃えただけ。またスポークスマン役を果たしているGAの小田代表は、コメントの度に方針をコロコロ変える無責任さ
(余談だが、彼は本当に危険な人物だと思う)。
 これを「日本でも草の根の動き!」なんて無批判に持ち上げる馬鹿マスコミも多々あり、21世紀に向けた日本のネット社会の“成熟”はここに極まったと言えよう。…ったく、酒飲んでふて寝でもしたい気分だ(苦笑)。

 CWNについての具体的な、詳細な批判は別のページに譲るが、これだけは言っておきたい ─

 CWNという管理システムによって、
「何の議論もなく」(また議論は目の届かない所へ追いやられ)、
「個々の表現・発言がいちいち審査の対象となり」(しかも何者かの恣意によって)、
「それがいつの間にか社会のコンセンサスであるかのように」(世論操作され)、
「表現・発言を消し去ることが容認・黙認される」
  ─ そんな“輝かしい”ネット社会が生まれようとしている。そんな清潔すぎる、つまらない社会に私は順応できないし、したくもない。
■動かなくては何も変わらない。
 しかし一方で、CWNに対峙する動きも残念ながら活発さを欠いていると思う。私などは米国のCDA法への反対運動にえらく感動したクチなので(←運動好きだな・笑)すぐ調子に乗って動きたい動きたいと考えちゃうのだが…。「反CWN掲示板」を見ていると、少々不安になる。本音を言えば、かなり苛立つ。

 バナーを貼り、リンクを張るのは単なる「作業」だ。その意味を考え、見いだしていけば自分なりの「思想」にたどり着く。そしてそれを他者 ─ 友人・知人でも、対峙する相手=CWNでもいい ─ に伝えるのが「行動」だ。単純に言えばそれだけの事だ。

 あなたに行動して欲しいのは、私とあなたが「違う」からだ。違うからこそ、私にとって「あなたがいる価値」が生まれるのだ。
■「表現する者」とは、ネット上では
 すべての存在を指すのである。
 「別に“表現の自由”なんて関係ないし…」とあなたは言うかも知れない。まぁ傍目から見れば、品行方正+人畜無害な(笑)私なんかも、表現の自由を求めてわざわざ“闘う”ほどでは無いんだろうね。

 だが、ここはネット社会だ。私たちがネット上に存在するには「表現する」しか手段が無いではないか。いくらディスプレイの前で賛同しようが憤慨しようが、それを表現し相手に伝えなければ、それは存在しないのと同じだ
(アクセスカウンターが1つ増えるだけだ・笑)。

 もう少し正確に言おう。あなたが考え、感じている事 ─ 例えば「世界経済は今後こうなる」でも「やっぱり足首がセクシー」でも「いやぁそれほどでも
(^-^; 」でも何でも良いが ─、そういった思考・感情は、あなた自身によって表現されなければ「社会には存在しない」のだ。

 つまりネット上での“表現の自由”を巡る闘いとは、
私の存在を巡る闘いである。そして他者とのネットワーク=「私にとっての社会」をまもり抜く闘いである。ゆえに私のようなちっぽけな者でも、考え、闘う義務があると考えるのだ。
 …ちょっと気どりすぎかなぁ(照笑)
■ネットのために、何が出来るか。
 「ネットのために、何が出来るか」なんて、ホント大げさすぎてどうでもいいことだ。世界平和を追求しすぎて核兵器を持つくらいなら、世界平和なんかさっさと諦めたい。手に余る事をしたがるのが、顕示欲の強い人間の悪い所だぞ。

 CWNに対しても、別に「オレが正義だ、オレに従え!」とか「権力をオレによこせ!」とか言いたいんじゃない。「頼むから、私のことは放っておいてくれ。」そんだけだ。

 私は私の社会で上手くやっていく、やっていける気がするからね
(^-^)。