縄文式古代農法

(2008/06/25更新)


  駅前の本場で十年を過ごし、八木原で畑を借りました。



  畑と言っても小学校の石垣沿いに一列だけ、ラズベリーを植えさせてもらいました。上の写真は定植前の全景を南側から撮りました。


   

手入れの行き届いた畑なので、一年で背丈を越えるほど繁茂するようになりました〈写真は植えて半年ぐらいの時です)。



  ラズベリーの収穫量だけを考えると飛躍的な進歩であり、地主の方には感謝しかありません。ただ土の手入れは地主の青木さん任せになり、機械力も入ってしまいます。また肥料を直接還元に頼るという所期の目的が曖昧になってしまいました。有機堆肥で自家用の野菜を育てている畑なので、一般の農地とは違いますが、それでも理想から遠ざかってしまうという危惧が発生しました。

小坂子分場

  小坂子のクリニックを任されたのを契機に、裏の空き地を使って古代農法に挑戦しようと企てたのです。写真を見て頂ければ一目瞭然ですが、環境と眺望は一流の場所です。



  しかも長く農地として使われていたため、大量の堆肥が撒かれており、地力も非常に高い土地でした。ただ3年ほど前にクリニックの建物が作られ、それから放置されたままになっておりました。ただアメリカセンダンソウなどの雑草が生え放題で、とても何かに使える状態ではありません。写真は5月末のもので、夏になると草丈が二倍ほどになります。

   

  北側には飼料用の何とかグラスが栽培されるだけで、農薬や除草剤も大量に撒布されていません。西側にも耕作放棄地が広がっており、東は道を挟んで畜産農家が自家用の野菜を栽培しています。古代農法を再現するには格好の土地と思われたのです。もちろん樹木は切り倒されて根も抜かれていますから、いわゆる焼畑とは違って、出来上がった農地と言えるでしょう。

  まずは雑草を刈り払って、東の道沿いにラズベリーの苗木を定植しました。同時にグレープフルーツとアーモンドの苗を植えましたが、これらは途中で本場に移植することになります。クリニックを退職したため、十分に面倒が見られなくなったためで、現在は本場の中で狭苦しく育てています。




  東側に植えたラズベリーは一年後にフェンスを越えるまで伸びました。もちろん大量の実を着けたため、道行く人々の視線を集めました。足元の雑草は夏の間に数回の刈り込みを行い、茶色く変わっています。

  一緒に食用菊の苗を植えておきましたが、たちまち雑草に覆い隠されてしまいました。それでも丹念に雑草を刈り取ると、菊の苗が姿を現します。



同じようにグレープフルーツの苗も救出されました。



こちらは気息奄々気息奄々だったため、焦って本場に戻しました。



  ラズベリーは十分な実を着けて、バケツに幾杯もの収穫を齎しました。八木原の有機分場でも、菊が食べきれないほど咲きました。塀際なので機械類は一切使用しておらず、実質的に古代農法に近い栽培方法を取りました。

  取り敢えず一年しか経っていませんが、縄文式古代農法とは何かが分かったように思います。有機無農薬栽培は当然ですが、カマやスコップなど最低限の道具しか使わず、一切の機械力を排除する農法です。普通の農家であれば絶対に踏み込まない農法かもしれません。少なくとも現代の農法とは対極にある方法で、作物は自然の猛威に曝されながら、何とか生き続けようとします。枯れた雑草の間で黄色い菊の花が咲いているのが見えるでしょうか。



  わずかに人間の手が介入するのは、日当たりと通気を改善するために雑草を刈り取ることで、中耕と呼ばれる行為も含まれるかもしれません。水は天水頼みであり、雑草の根も掘り出さずに終わる場合もあります。時々、テレビなどで「自然栽培」が紹介されますが、それよりは人為が強く加わっています。

  いわゆる自然栽培では除草も中耕も行わないので、栽培作物が雑種に負けてしまうからです。雑種に勝たない限り、農作物の収穫は不可能だと考えました。ただ機械力に頼らずに十分な除草を行うのは難しく、相当な努力を継続的に払わなければなりません。一年間、努力を続けた結果、相当な収穫が得られました。古代農法は荒唐無稽な夢物語ではなく、実現可能な農法モデルだったのです。ただし多大な努力が必要で、一朝一夕に実現できるものではありません。

  残念ながら小坂子のクリニックを離れることになり、古代農法で畑を維持拡大することができなくなりました。また新たな農地を見つけて再挑戦したいと考えています。古代農法の経験から学んだことは、縄文時代の農具のみを使って、現在でも農業が成立するという強い自信です。


古代の農具と農法

  縄文時代は石器しか使われておらず、石斧と黒曜石のナイフが広く用いられていました。私たちが思い浮かべる鍬(クワ)は、弥生時代以後に水稲栽培が一般化してからから用いられるようになった農具です。

  黒曜石のナイフは鎌のように茎を切る道具であり、その使用法は現代と変わっていません。問題は石斧と呼ばれる道具で、斧として使われていた証拠がないのです。ところが私が実践した古代農法で、雑草と刈り取るだけでは作物の保護が不十分であり、雑草の根を掘り返す必要がありました。

  私自身はスコップと三角鍬を使ったのですが、三角鍬は斧と良く似ています。小さな頭部で狭い範囲を掘り返す農具です。斧型の石に木の柄を取り付ければ、十分に実用的な農具となります。刃先の向きは分かりませんが、どちら向きに付けても使うのに支障がありません。

  中世的なクワがなくても古代の石斧があれば、雑草の根を断ち切ることができるのです。言い換えれば栽培種の生育条件を格段に向上させ、収穫に至ることが可能になります。斧を三角鍬の代用品と考えれば、縄文時代でも十分に畑作が実施できると結論できます。

  もちろん焼畑という方法を否定しているのではなく、夏雑草に負けないようにする中耕を目的としたものです。焼畑では春先の枯れ草を処分できますが、野菜や果樹を定植した後は焼却できません。夏雑草を生え放題にしておけば、野菜や果樹に悪影響を与えます。

  夏雑草を除草しない自然農法が称揚されていますが、食べられる作物が収穫できる根拠はありません。なぜなら野生種の方が栽培種よりも強いからです。自然状態で放置した場合、栽培種は雑草の海に飲み込まれてしまうのです。雑草の間に食用菊を放置してみましたが、たちまち消滅してしまいました。

  ここで「農」とは何かを考えてみると、比較的弱い栽培種を強い野生種から隔離して、生育条件を良好に保つことと言えます。雑草が日差しを遮り、必要な栄養分を消費してしまえば、栽培種は生き続けることができません。いわゆる自然農法では、野生種からの隔離を行わないため、栽培種の生育条件が極端に悪化します。

  背丈の低い野菜を育てようとすれば、最初から最後まで雑草退治に追われるのは間違いありません。現在の農家でも自家用の野菜は減農薬で栽培しますから、中耕すなわち除草を頻回に繰り返します。高齢者が毎日のように見回って、除草している姿を目にするでしょう。

  果樹栽培の場合でも、根元の雑草は必ず退治します。これは栽培法の初歩ですが、果樹の場合には枝葉によって日陰ができるため、雑草の勢いが減殺されます。最近では特定の草本を生やして緑肥とする考えも出てきましたが、一般的ではありません。

  現代でも古代でも、「農」は特定の栽培種を隔離して良好な生育条件を与えることに他なりません。現代の機械農法や除草剤(農薬)の多用も、栽培種の隔離を行うためなのです。また肥料と呼ばれる物質は、生育を促進する物質を外部から与えることに尽きます。

  ここまで考えてくれば、古代と現代の「農」が本質的に同じだと言えるでしょう。もちろん現代の機械農法や農薬あるいは化学肥料を良しとしているのではありません。ただ農業の本質が同一であれば、古代の農法に戻すことも原理的に可能だと主張したい。

  さらに栽培種が人為的に選択された劣勢種だとすれば、人為的な選択を繰り返すほど弱くなるという現象に気づくべきです。野生種に近い原種ほど自然条件に近くても栽培可能であり、交配と選択を繰り返した品種ほど栽培が困難になります。

  これは人間の選択基準と進化の法則が一致しないために起こる現象です。栽培種の隔離が必要となったのは、人間が植物進化の原理に反する劣勢種を繁茂させようとしたからです。ヒト以外は自然の食物しか口にしません。まさしく自然栽培で育つ原種しか食べないではありませんか。ヒトが「農」を始めた時点で、植物進化の原理を踏みにじったと言えるでしょう。

  究極の反自然が「農」である。この単純明快な結論を前提にしなければ、21世紀の農業は自らの基本原理を見失ったままでしょう。私が古代農法の復活を試みたのは、「農」哲学の再構成を目指したからであり、単に流行の環境論に毒された訳ではありません。また伝統農法さえ守っていれば、全ての問題が解決するという夢物語を語る積りもないのです。

超過密栽培

  縄文式古代農法と平行して、本場で超過密栽培に取り組みました。果樹の根元に野菜の苗を植えるという常識はずれの農法です。

   

    

  太陽光や地面が限られているため、必然的に過密栽培となったのですが、このような限りない悪条件でも、それなりの収穫が得られました。

  


  野菜類は果樹の下でも成長できますが、考えてみれば野生の原種なら当然のことです。人間が少しだけ環境を変えてやれば良い。あるいは混植によって本来の生態系に近い状態を再現する方法が知られてきました。



  これは代表的な混植の組合せで、キュウリの下にミツバを植えています。さらに地面は敷藁がわりにクリの花で被っています。街かど農園で敷藁の自給は困難なため、クリの木から落ちる花を集めて敷き詰めています。

  左下の隅は春菊で、右下には青シソと唐辛子の苗が見えます。キュウリが生長するにつれて、ミツバは日陰に入るので、硬くならずに夏でも食べられます。そのうちシソと唐辛子が大きく育つという仕組み。

  もともと混植あるいは輪作という伝統的な知恵は、洋の東西を問わずに行われており、病虫害を減らして地力を高める(正確には窒素の流亡を防止する)手段として使われてきました。

  最近ではコンパニオンプランツという概念が確立し、菌根菌を介して土壌中で共生が行われていると理解されています。街かど農園で超過密栽培を始めた最初は、ミョウガやウドあるいはフキといった日本古来の野菜でした。森林の下草に近い植物なので、一日中日陰の場所でも適当に育ちます。

  全ての野菜が日陰を好む訳ではありませんが、菊のように向日性の植物を日陰に植えても、それなりに育ちます。太陽光を限界まで利用できないでしょうか?

   

  左上の写真では手前のアーモンド苗の根元に食用菊を植え、その間に青シソと日光トウガラシも生えています。その向こうでは、蔓ありインゲンの下に地生えのキュウリが伸びており、ミニトマトも実を着けています。

  右上の写真では、隣のビル(南側)との塀にラズベリーを生垣状に植えてありますが、足元には食用菊が植えてあります。収穫に必要な道部分には板を並べておりますが、やっと歩けるだけのスペースしかありません。



  全体を写すと、ビワの根元にも食用菊、その向こうにグレープフルーツ、黄色のビニール袋にはナスの苗を植えてあります。浅い鉢にはシソの苗を作っており、空いている地面は殆どありません。

  常に野菜が収穫できるように、食用菊が枯れる初冬まで次々と苗を植えて行くため、伝統的な輪作や混植よりも「過密」な状態が続きます。植えてから収穫するまで、全てが手作業なので出来る農法であり、広い面積の畑では困難でしょう。定期的に雑草を手で抜くだけでも、大変な手間です。

  この超過密農法は近代農法への転換を意図するものではありません。多種多様な植物を狭い面積の土地に共存させ、地力を保つと同時に病虫害を減らそうという試みです。

  古代というより近代以前には、農薬も化学肥料もありませんでした。果樹にしろ野菜にしろ、有機無農薬の状態で栽培されていました。ということは現在の農作物も潜在的には古代農法(有機無農薬)で栽培可能と考えられます。

  ハワードが主張した菌根菌を介した共生関係が、病虫害を減らして地力を維持する唯一の方法かどうか、明白に証明することはできません。ただ数千年にわたって続いた伝統農法に戻ることはできます。

  小さな小さな閉鎖世界を作れば、その中で完結可能な生態系が維持できるのではないでしょうか?古代の農業とは、きっと自給用の作物だけを栽培する小さな地面で展開されていたのではないでしょうか?


  できる限り古代農法に接近することが、21世紀の「農」を救う道だと信じて、これからも街かど農園を続けて行きます。なお理論的な裏づけは、哲人通信の中で水土思想とアニミズムの問題として再論する積りです。ある程度まとまった段階で経鈷堂から公開する予定です。

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